六孫王神社 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 東寺から京都駅の方向へ戻る途中、六孫王(ろくそんのう)神社に寄りました。とても交通量の多い街中にあります。

 

 鉄道にも面していて、新幹線や電車が走っているのを何度か目撃しました。

 

 外国人観光客の中でも、中国人観光客が目立ちました。5年前は中国人の爆買いが話題になりましたが、今はコスプレが流行っているんですね。結婚式の恰好をしたカップルや和装のカップルが撮影に夢中で、住職の方々も困り果てていました。

 

 六孫王とは、清和源氏の祖と仰がれる源経基(みなもとのつねもと)のことです。父が清和天皇の六男で天皇の孫にあたるということで、皇室では「六孫王」と呼ばれていました。

 

 源経基の邸宅があった場所で、経基の子である源満仲(みなもとのみつなか)が応和年間(961-963)に社殿を建立したのが始まりです。「池に住んで子孫を見守る」という経基の遺言をもとに「神龍池 鯉魚塚」が建てられました。

 

 池のほとりに弁天堂があり、堂内に満仲誕生の水があるそうです。

 

 その後荒廃しましたが、1700(元禄13)年に、遍照心院の南谷上人が再建し、この神社を遍照心院の鎮守社としました。

 

 拝殿付近に咲いている桃の花が綺麗でした。

 

 本殿に源経基、相殿に天照大神(アマテラスオオミカミ)、八幡大神が祀られています。

 

 江戸時代には源氏ゆかりの神社として武家の信仰が厚く、松平吉保(よしやす)など諸大名が石灯篭を寄進しました。

 

 石灯篭の周りには、真っ赤な桃が咲いていました。桜よりも桃のほうが珍しく、見ごたえがありました。

 

 この神社は染井吉野(ソメイヨシノ)より鬱金(ウコン)のほうが有名で、これから観光客が増えるそうです。