兵庫県立美術館(屋外彫刻) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 阪神淡路大震災10年委員会では、文化復興を支援するため、彫刻寄贈を呼びかけ、彫刻のある街角づくりをすすめてきました。兵庫県立美術館にも屋外彫刻が設置されています。

 

ジョージ・リッキー作 「上を向いた2本の線~30フィート」

 ジョージ・リッキー(1907-2002)は、アメリカ・インディアナ州に生まれ、6歳でスコットランドに移住。オックスフォード大学で近代史を、パリのアンドレ・ロートアカデミーで美術を学びました。

 卒業後帰国。インディアナ州立大学やカリフォルニア大学などで教鞭をとる傍ら、風力を用いた独自のキネティック・アート(動く美術作品)を制作し続けました。その功績が讃えられ、1986年にニューヨーク知事芸術賞を受賞しています。

 

セザール作 「エッフェル塔~板状」

 セザール・バルダッチーニ(1921-1998)は、マルセイユ美術学校、パリの国立美術学校エコール・デ・ボザールで学びました。

 戦後、大理石やブロンズが手に入らず、友人の工場から制作のヒントを得たと言われています。鉄くずを集めて溶接した「アッサンブラージュ」と呼ばれる彫刻、自動車をプレス機で平らにしたり四角く圧縮する「圧縮(コンプレッション)彫刻」、発泡ポリウレタンを使った「膨張(エクスパンション)彫刻」など、独自の手法を編み出しました。

 下の作品は、パリ・エッフェル塔の廃材を再構成したもので「再生」をテーマとしています。この彫刻のように兵庫県も復活してほしいと願いをこめて、作家自身から寄贈されたものです。

 

ヘンリー・ムーア作 「ゴスラーの戦士」

 ヘンリー・ムーア(1898-1986)は、ロンドンの王立芸術大学在学中に、ヴィクトリア・アルバート美術館と大英博物館で民俗学資料の収集を行い、原始的な美術、彫刻についての知識を蓄積しました。直彫りのスタイルを追求したため、材料の欠点や工具の削り痕などが残る作品を評価しない学校の指導教官と争いも起こったそうです。

 母子や横たわる姿を題材にした作品が多く、人体に穴が開いているか、空洞を含んでいるという特徴があります。人体の起伏に富んだ形は、故郷ヨークシャーの丘の景色から生まれたものだと解釈されています。

 大規模なモニュメントなどの注文をこなし、生涯の後半は美術家としては並外れて財力豊かになりました。しかし、死ぬまで質素な生活を送り、その富のほぼすべてが「ヘンリー・ムーア財団」の基金として寄付され、美術教育や普及の支援のために使われています。

 

山口牧生(やまぐちまきお)作 「日の鞍」

 ベンチのようですが、船をイメージした作品です。陽があたると、上部が輝き、側面とのコントラストがはっきりするそうです。

 山口牧生(1927-2001)は、広島県出身の彫刻家。京都大学で美学を学び、定時制高校で教鞭をとる傍ら、大阪市美術研究所で彫刻を学びました。美術展に出展して数々の賞を受賞しています。

 

新宮晋(しんぐうすすむ)作 「遥かなリズム」

 新宮晋(1937-)は、大阪府豊中市出身の彫刻家。東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業後、ローマ国立美術学校で絵画を学びました。イタリア滞在中に絵画からレリーフ作品、さらに立体作品へと分野を変えましたが、帰国後の作風は「動く立体作品」で一貫しています。風や水で動いたり、光を巧みに取り入れることで、自然との一体感を生む作品に特徴があり、「空気の専門家」と呼ばれています。

 

元永定正(もとながさだまさ)作 「くるくるきいろ」と「きいろとぶるう」

 元永定正(1922-2011)は、三重県出身の画家であり、絵本作家。妻はグラフィックデザイナーであり絵本作家の中辻悦子、娘はジュエリーデザイナーの元永紅子です。

 

 地元の商業学校を卒業後、中之島美術研究所(現・中の島美術学院)に学びます。はじめ漫画を志していましたが、1946年、同郷の文展系画家の浜辺万吉に師事し、洋画に転向しました。

 1955~1971年、師事していた吉原治良をリーダーとする具体美術協会に参加。その間、米国に留学して研鑽を積みました。

 

オシップ・ザッキン作 「住み処」

 オシップ・ザッキン(1890-1967)は、ロシア出身フランスで活躍した彫刻家であり画家。ロンドンの美術学校で学んだ後、1910年頃拠点をパリに移しました。1914~1925年までキュービズム運動に参加し、ラスコーの洞窟壁画など原始芸術に大きな影響を受けた当初のスタイルを確立させました。

 キュービズムとは立体派のことで、20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向です。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、様々な角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定しました。

 

今村輝久(いまむらてるひさ)作 「不在の中のかたち 26」

 今村輝久(1918-2004)は大阪府に生まれ、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業しました。

京都成安女子短期大学、夙川学院短期大学、京都精華大学、宝塚造形芸術大学で教鞭を執りながら、制作活動を行いました。1989年には大阪市市民表彰、文化功労賞を受賞しています。

 

 一般的に彫刻といえば、ブロンズの人物像をイメージするので、これを彫刻と言うのか?と思う作品もありました。現代アートは専門家しか理解できない分野かもしれません。