藤森神社 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

墨染寺からJR藤森駅へ向かう途中、藤森(ふじのもり)神社に立ち寄りました。

 

 鳥居の赤丸の部分には額がありません。第108代・後水尾天皇(1596-1680)筆の額が掲げられていました。

 江戸時代は西国大名参勤交代の道にあたっていて、大名は神社の前を通る時に、籠から降りて拝礼をして槍などを倒して通行していましたが、幕末動乱期になり、そのような悠長なことは出来ないと、新撰組の近藤勇が外したそうです。

 

 藤森神社は、平安遷都以前に神功(じんぐう)皇后によって創建された古社で、盞鳴命(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)など12柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神(うぶすながみ)として崇拝されています。

 

神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したと言われる旗塚や、

 

 蒙古の将兵と戦利の兵器が納めた蒙古塚など、勝運や馬に関する物がいろいろありました。そのこともあり、この神社は競馬関係者(馬主・騎手等)や競馬ファンの参拝者でにぎわっているそうです。

 

 また、5月5日の藤森祭は、菖蒲の節句発祥の祭りとして知られ、節句に飾る武者人形には神が宿ると言われており、その象徴に神鎧像(かむよろいぞう)が建てられました。

 

 江戸元禄時代の前後の頃、藤森祭で七福神行列が行われていたそうで、この行列の復活を願い、鎮座1800年祭に氏子総代より藤森七福神が奉納されたそうです。

 

 宝物殿には、大鎧や刀剣、大筒など戦に因んだ物や、藤森祭が描かれた絵巻物が展示されていました。

 

 本殿は1713年に第114代・中御門(なかみかどの)天皇より賜ったもので、宮中内侍所(ないしどころ)の建物といわれています。

 

本殿背後にある八幡宮は、神功皇后の子である第15代・応神天皇を祀っています。

 

 平安遷都の時、桓武天皇により都の南を守る守護神として大将軍社が創建されました。祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)で、古来より方除けの神として信仰されています。

 

 名水「不二(ふじ)の水」は、2つとないおいしい水という意味で、武運長久や学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されています。

 

 伏見の水はいろいろ飲みましたが、味の違いはよく分かりません。どの水も冷たくて口当たりが良く、少し甘い味がしました。

 この日の散策は乃木神社から始まり、藤森神社で終わりました。見どころがたくさんあり、とても充実した一日でした。