墨染寺 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 墨染寺(ぼくせんじ)は、874年、第56代・清和天皇(850-881)の勅願により、摂政・藤原良房(804-872)が建立した貞観寺(じょうかんじ)が前身だとされています。

 

 豊臣秀吉(1537-1598)が土地を寄進し、大僧都・日秀(にっしゅう)上人(1503-1577)により建立されました。秀吉の姉・日秀尼(にっしゅうに、1534-1624)が法華経に帰依したのを契機とし、寺号も法華本宗・墨染桜寺(ぼくせんおうじ)と改めました。

 

 墨染井は、1768年に歌舞伎役者・2代目中村歌右衛門が寄進したものです。 

 

 境内には3代目の墨染桜と、ソメイヨシノが植えられています。全部枯木でした。画像は借りています。

 

 太政大臣の藤原基経(836-891)はこの地に葬られ、友の死を悼んだ上野岑朝臣(かんつけのみねおあそん)は、桜に向かって歌を詠みました。

 「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け」(古今集)
 以来、「心なき桜」もこれに感応し、墨染色(薄墨色、喪の色)の花を付けるようになったと言われています。


こうして墨染の地名が生まれました。