乙訓寺 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

向日(むこう)神社から20分ほど歩き、乙訓(おとくに)寺に着きました。

 

 乙訓寺は、推古天皇の勅願で聖徳太子が開いた寺です。奈良時代には弘法大師が関わり、真言宗豊山(ぶざん)派長谷寺の末寺になりました。

 

弘法大師は、度々境内のみかんを摘み取り、詩を添えて嵯峨天皇に献上したそうです。

 

本堂には合体大師(がったいたいし)像が祀られています。

 

桓武天皇の弟、早良(さわら)親王が幽閉された場所として有名です。

 

 平城京から長岡京に遷都して間もない785年に、造営の最高責任者である藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が、暗殺されました。事件に激怒した桓武天皇は、首謀者の大伴継人(おおとものつぐひと)ら10名を処刑しました。早良(さわら)親王もそのうちの一人です。

 

 早良親王の死後、桓武天皇の身辺には不幸が相次ぎます。天災も相次ぎ、和気清麻呂(わけのきよまろ)の建議もあり、桓武天皇は平安京への遷都を決意しました。

 

 一時期廃れましたが、1695年に護持院隆光が徳川綱吉の母桂昌院(けいしょういん)の援助により再興しました。

 

 樹齢400~500年ほどのモチノキは、乙訓寺のシンボルで、長岡京市指定文化財に登録されています。

 

紅葉も綺麗ですが、牡丹寺として有名で、4月下旬に訪れると良いそうです。

 

乙訓寺を出ました。次に続きます。