京都鉄道博物館(貨物駅の変遷) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 1872年の鉄道開業当初は、駅で旅客と貨物の両方を扱っていましたが、利用者が増え、旅客駅と貨物駅に機能と用途が分けられました。その始まりが京都駅と梅小路駅です。

 京都駅が大正天皇の即位大礼に合わせて改良される時に、旅客が利用する京都駅と貨物専用の梅小路駅に分離され、日本初の貨物専用駅が誕生しました。

 

 路線網の拡大と利用客の増加により、梅小路駅での貨物の分類が難しくなってきました。このため、大阪の中心に近い吹田に新しく操車場が設けられました。1923年に開業した吹田操車場は、日本最大級の操車場として西日本の物流を支えました。

 

 1987年4月、JR貨物は6つの旅客鉄道会社とともに発足しました。翌年には津軽海峡線(青函トンネル開通)、本四備讃線(瀬戸大橋開通)の開業によって、九州、四国、北海道がレールで結ばれました。

 

 貨物駅はたくさんの貨車やコンテナを扱うため、広い敷地に多くの線路が広がっています。全国に150カ所以上あるそうです。

 2013年3月に営業を終了した梅田貨物駅は、約90年もの間関西の物流を支えました。そのこともあり、JR大阪駅北側はここ数年で大型店舗が増え、駅構内も大きく変わっています。

 

 梅田貨物駅の廃業と同時に吹田貨物ターミナル駅が開業しました。東海道本線に設置したことで、緊急時に列車を新たに設定することや悪天候による迂回運転の手配、トラックによる代行輸送にも迅速に対応できるようになりました。

 

 貨物列車は26両540mと日本で一番長い編成で走っています。(新幹線は16両400m、在来線の新快速は12両240m。)そして、運転士1人で大型トラック65台分を一度に運びます。しかも二酸化炭素の排出量はトラックの約9分の1。

 

 エコレールマークは二酸化炭素削減のため、2005年に国土交通省によって制定されました。鉄道貨物輸送を利用し、地球環境問題に積極的に取り組んでいる企業や商品を認定するものです。

 

 この記事の画像は全て借りました。次はコンテナについて投稿します。