京都鉄道博物館(京阪神間の鉄道開業) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 1870年、京阪神間で鉄道を建設するための測量が開始されました。その後、イギリス人技師の指導を受けながら、山や川などの難所が多い京阪神間での工事が行われ、翌年には、日本初となる鉄道トンネル(石屋川トンネル)や、鉄道橋梁(武庫川橋梁・神崎川橋梁)が建設されました。下の写真は、石屋川トンネルです。

 

 石屋川は天井川で、橋を架けて線路を敷設することができず、川の下にトンネルを掘りました。これは、川をせき止めるなどの大変難しい工事でした。

 

 大阪~神戸間が1874年に開業、その後、京都~大阪間が1877年に開業し、京阪神間の都市を結ぶ鉄道が完成しました。

 

 下の写真は、京阪神間の鉄道開業用にイギリスから輸入されたテンダー式蒸気機関車です。テンダー式とは、ボイラー車に石炭と水を積み込んだテンダー(炭水車)を連結した機関車です。後方の視野が狭くバック運転には不向きであったものの、燃料を多く積むことができたので、主に長距離列車を運行する幹線で使用されました。

 

 日本の鉄道発展に大きく貢献した人に、井上勝(いのうえまさる。1843-1910)が挙げられます。長州藩士の家に生まれ、21歳で英国に留学して、鉄道技術を学びました。帰国後、鉄道を発展させるため鉄道頭(のちに鉄道局長)となって京阪神での建設を指揮し、鉄道に携わる技術者を養成しました。

 鉄道局は日本人技術者に鉄道の建設技術などを指導するため、1877年に大阪に工技生養成所を設置しました。この養成所では、選抜された鉄道局の工技生に対して英語・数学・力学・製図などの講義が行われました。

 

 下の写真は、国産初の量産型蒸気機関車です。タンク式機関車で、車体にボイラーと石炭・水を積み込んだ機関車です。石炭と水を積み込めるスペースが少なくなった分車体が小型化し、後方の視野が広がってバック運転も容易なため、主に支線や産業路線、入換用として使用されました。

 

 日本人だけで建設した最初の鉄道は、1878年に完成した京都~大津間の鉄道で、日本人だけで建設した最初のトンネルは、馬場(現在の膳所(ぜせ))~大谷間に建設された逢坂山(おうさかやま)トンネルです。

 

 1882年、太湖(たいこ)汽船は日本で初めて駅と駅を連絡するため、まだ鉄道が開通していなかった大津~長浜間を琵琶湖上の航路で結びました。

 鉄道局は、太湖汽船を援助する形で鉄道連絡船の運航を始め、連絡輸送は1889年の大津~長浜間の鉄道開業まで続けられました。

 

次は、日本の鉄道の発展について投稿します。