須磨駅で観光マップを取りました。道に須磨楽歩(らくほ)という標識があり、それに沿って歩くと、史跡や名所を巡れます。
村上帝社。村上天皇にまつわる伝説がある神社。
謡曲「絃上(げんじょう)」から。平安時代末期、太政大臣藤原師長(もちなが)は琵琶の名人でした。さらに唐で奥義を極めたいという志を持って、須磨の地まで来ました。ところが、村上天皇と梨壺女御の神霊が現れて、琵琶の妙手を授けたので、唐へ行くことを思いとどまり帰京したという話があります。
関守稲荷神社。須磨の関守と関わりのある神社。
「淡路島かよう千鳥の鳴く声に いく夜寝ざめぬ須磨の関守」平安末期の歌人源兼昌の和歌で、百人一首のひとつ。
須磨の関守の場所は定かではありませんが、神社の敷地内に、一面に「長田宮」、側面に「川東左右関屋跡」と刻まれている石標が立っていて、近辺に須磨の関守があったとされています。
現光寺。源氏物語の主人公光源氏が、従者数人と京から須磨に退去した際、わび住まいをしていた所と古来より語り継がれていている寺で、「源氏寺」、「源光寺」とも呼ばれています。
月見の松。謡曲「須磨源氏」より一節。
日向国宮崎の社宮・藤原興範が、伊勢参宮の道中で須磨の浦に立寄ると、老樵夫が桜の木陰から現れ、光源氏一代の略歴を物語り、自分はその化身であると言う。
その夜旅枕の興範の前に、菩薩となっている光源氏が天から気高く優雅な姿で天下り、在りし日の須磨のくらしを回想しつつ、青海波の舞を舞って夜明けと共に消え去りました。
諏訪神社。狩猟・農業・国家鎮護の守護神。11月8日の祭日には村民が猪狩の神事を行い、猪肉を食べる習慣があったそうです。
一説では、「諏訪」が訛って「須磨」の地名がついたと言われています。
須磨浦散策は次へ続きます。