西宮万葉の旅 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

万葉植物苑から阪神西宮駅へ戻る途中、大きな松がありました。

 谷崎潤一郎の「細雪」に出てくる一本松です。武庫郡と莵原郡との郡界でもあります。

 

JR高架下にとても狭いトンネルがあります。

 「マンボウトンネル」と呼ばれるもので、水路として利用されていたものに板を敷いているために狭くなったそうです。一本松の目の前と、とても近いこともあり、「細雪」に登場します。

 

阪神西宮駅を通り越して20分ほど歩き、松原神社に着きました。

 

 万葉集に「あまおとめ 漁たく火のおぼほしく 都勢の松原 思ほゆるかも」と歌われているように、この付近一帯はかつて白砂青松の海辺でした。

 901~923年、九州へ流される菅原道真がここに立ち寄ったとの伝承があります。

 

 松原神社のすぐ近くに「漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)松」という史跡があります。

 日本書紀によると、15代天皇、応仁天皇の時代(270-310頃)、呉の国に使いを出して縫工女(ぬりひめ)を求め、来朝した4人の工女のうちの2人が漢織・呉織で、武庫の水門に上陸した際、当時松原であったこの付近で休息をとり、故郷を慕ってここに松を植えたと伝えられています。

 

 松の傍らにあった池の水を使って染色をしたので、この池を「染殿池」と呼ぶようになりました。

 

 5分ほど歩き、津門(つと)神社に着きました。

 

 百済の国より綾羽、呉羽姫が渡来、わが国に初めて機縫(はたおり)または染物などを教えた場所に、彼らが外来渡来の神、大日如来を歓請して創立したといわれています。

 

津門神社の近くに「明星池」があります。

 美丈丸の身代わりとなり首を斬られた幸寿丸の哀史と、ひでりの時に村人がこの池に弁財天を祀り雨乞をしたところ、雨が降ったという奇蹟が古老の語り草になっています。

 

15分ほど歩き、JR西宮駅に着きました。