白鷹禄水苑② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

ショップの奥に「暮らしの展示室」がありました。

 

 北辰馬家初代、辰馬悦叟(えっそう)は、1862年28歳で辰馬本家の婿養子となり、家業の酒造業(白鹿酒造)に従事し、分家して新たに北辰馬家を興し、現在の「白鷹」の基礎を築きました。

 辰馬本家の北側に酒造蔵を構えたことから、「北店(きたみせ)」と称した北辰馬家は、1880年代に酒蔵と地続きの本宅を新築し、1945年に戦災に遭うまで4世代が過ごしました。

 

「暮らしの展示室」は当時の生活を肌で感じられる空間です。

 

茶の間(商家の食膳)

 明治末から大正にかけての食卓の風景。銘々膳で食事を取っていました。長火鉢は一家団欒の中心で、湯を沸かしたり、燗(かん)をつけたりと一年中活躍しました。部屋の奥にある棚は水屋で、本来、玄関から勝手口に抜ける通り庭の土間に置かれていたものです。

 

離座敷(化粧部屋)

 大正時代の女性の化粧部屋です。たんすと長持は、嫁入り道具として揃えられたもので、当時の女性はこれを一生大切に使いました。長持は、中に寝具などを収納し、本来は土蔵に納められていました。

 明治末から電灯が普及し始めますが、当時私室ではまだホヤ付き燭台(たんすの上にある物)や石油ランプ(天井に吊るされた物)が併用されていました。

 

本座敷(端午の節句)

 大鎧の飾りを中心にして、応神天皇や武内宿禰(たけうちのすくね)、八幡太郎義家、坂田金時、桃太郎など、歴史、物語に登場する勇ましい英雄を人形化した武者人形や、その他武人に関する色々な品を飾りました。いずれも幼児が強健に育ち出世することを願うもので、男の子の初節句を祝って親戚一同から贈られたものです。

 下の展示物は、昭和初期、辰馬家の長男の初節供を祝うために、京都の丸平大木人形店に作らせたものです。

  

 

2階に上がった所に、造り酒屋に住む人について、下記のような説明がありました。

 

 造り酒屋の経営者は、近代的な感覚を持ち合わせた事業経営者であると同時に、書画骨董に精通し、絵画、書、和歌、俳句、茶の湯などの文人的教養も身に着けた商家の主人でもありました。

 上方言葉で商家の娘や若奥さんのことを「御寮人(ごりょうさん)」と呼びます。造り酒屋で家を預かる主婦で、家の中の人事(女中や書生などに仕事を割り振り、監督すること)と折々の行事の采配を担っていました。

 

ハレとケ。向かって左側が宴の時に使った道具(ハレ)で、右側が日常使った道具(ケ)です。

  

 

酒造蔵の模型。向かって左側が酒造で、右側が本宅。

 

中庭に出ました。

 

宮水を汲む「はねつるべ」がありました。

 

向かい側にある、白鷹集古館に入りました。