今回は「協調意識」を取り上げます。社会人基礎力の時には12の能力要素に協調性は入っていませんでしたので、12の能力要素以外で必要なモノではないかという事で書いたのですが、必要な意識としては入っているんですね。
仕事や業務は、通常ならば自分一人で完遂することはできません。チームを作って役割りを分担したメンバーが集まって、互いに協力し合いながら業務をこなしていくことで相乗効果を生み、期待以上の成果を上げていく必要があります。この時に必要になるのが、今回取り上げる「協調意識」ですね。
協調意識とは、「自分とは違う考えや立場の仲間と話し合い、お互いを尊重しながら、同じ目標に向かって力を合わせる心構え」のことだと書かれていました。周りの意見に盲目的に従うということではなく、自分の考えは持ったうえで、チームの成果を一番に考えて行動する力を指します。ですから、イエスマンではありませんし、イエスマンになってもいけません。
最初に少し触れた「協調性」、今回のテーマである「協調意識」と似ていますね。どこが違うのでしょうか。調べてみました。すると、「協調性」という場合は、他人と協力して物事を進める事が出来る「能力」や「性格」という面が強いようですね。そして、その本人はというと、実際に周囲と意見を調整して、チームをまとめる事が出来る状態だという事でした。
それに対して「協調意識」といった場合は、他の人と協力しようとする「心の持ち方」や「自覚」といった面が強くなります。そして、「みんなで協力して頑張ろう」という気持ちを持っている状態とのことでした。
つまり、協調性は資質や能力、協調意識は心の姿勢といったところでしょうか。
ただ、いろいろと調べてみても「協調意識」という言葉は、なかなか出て来ません。検索をしてみても出て来ないんです。出て来るのは「協調性」ばかりです。念のため「協調性が無い人の特徴」についても調べてみました。
それによると、「協調性のない人」とは、周囲の意見や立場に合わせず、自分の考えやペースを優先させる人のことなのだそうです。そして、自己中心的で他者への配慮に欠ける言動が目立ち、チームで行動する際に摩擦を生みやすいという特徴があるとのことでした。ただ、この説には少し疑問があります。それは、他人はどうでもよいという前提があるように感じるからです。他人はどうでもよいから協調しない、他人も気になるから協調性を発揮する、ちょっと単純すぎるように思えるんです。
他人に対して関心が無い人はどうなんでしょう。同じように、協調性を発揮しないタイプになると思うのですが、どうでしょうか。先の表現だと、協調性が無いといった場合はそれがそのまま「身勝手」ということに繋がりそうな気もしてしまうのですが、本当にそんな単純なモノでしょうか。
実際のところ、ある記事には「協調性が無い = 自己中心的(身勝手)という決めつけは非常に危険であり、誤りといってもよい」と書かれていました。また、今の時代なら他人に興味がないというように、他者への関心の薄さ、つまり無関心な状態にあるケースが非常に多いようです。
一般的には、「他者への無関心」と「自己中心」は混同されているように感じますが、実際には全く異なるもののようです。特に、心理的なメカニズムは全く異なるもののようですね。
自己中心的で身勝手な人の場合、心のベクトルは他人の方に向いているようです。ただし、これは関心があるというよりも、他人を自分の都合に合わせて動かそうとする気持ちが根底にあるためです。ですから、このような人の言動の傾向は、自分の利益や主張を通すために、他人の領域を侵害したりジャマをしたりする事になります。
それに対して、協調性が無いように見えて実は他人に興味が無いという人の場合はどうでしょうか。心のベクトルの方向は自分に向いています。閉じているといってよいかもしれません。意識として、他人に干渉しないし、されたくもないということでしょう。このような人の場合、その言動は自分の世界で完結していますので、他人のジャマをする気は毛頭ないのが一般的です。むしろ、単に「群れない」というだけのこととして捉える事が出来ます。
つまり、他人に迷惑をかけてでも自分を押し通すのが「身勝手」であり、他人に無関心だからこそ、他人のことも縛らないのが「協調性が無い」人です。この状態を言い換えれば、独立心が強いということかもしれません。ですから、これらを一括りにして「身勝手」と非難するのは、明らかにおかしいと言えるでしょう。
さて、協調意識は先に書いた通り、心の姿勢という事でしたよね。心の問題ですから、行動とは別のモノになります。したがって、心の姿勢として皆と協調してやっていきたいという意識があっても、それが行動につながらないという例はあるんじゃないでしょうか。どこかでメンタルにブロックがかかってしまって、行動が止まってしまうような例です。
このように、意識があっても行動できないという例の場合、「協調意識があって、チームのために協力したい」と思っていたとしても、その人が内向的な性格であったりコミュニケーションが苦手であったりすると、具体的な行動として協調性を表わすことができないという人がいます。
また、その反対で、協調意識は低いにもかかわらず行動ができるケースも存在します。例えば、「他人に興味はないし群れたくもない」と思っていたとしても、大人のマナーや業務上の義務として割り切ってしまう事が出来れば、完璧に周囲と足並みを揃えてみせる、協調性を演じてしまうという人もいるんです。
この辺りは、周囲の人でもなかなか分かりにくいかもしれません。昭和の頃だと、日本では会社などの組織の場合では、「目に見える同調行動(みんなで一緒に残業する、飲み会に行くなど)」がなかったり、断ったりすると、すぐに「あいつは身勝手だ」だとか、「協調性が足りない」と、その人の人格まで否定的に扱われてしまいました。さすがに最近ではこのような例は少なくなったと思いますが、組織の采配の振るうヒトは、まだまだ昭和の時代の人が少なくありません。そのために、否定的に捉えられてツラい思いをしている人は、今でも少なくないと思います。しかし、それは、観察する側の「見方の浅さ」が原因といえるでしょう。
