『街道をゆく』「北のまほろば」司馬遼太郎著 文藝春秋

 

 司馬遼太郎の紀行文「北のまほろば」には、多くの青森県出身の作家や文化人の名前が登場する。

太宰治、石坂洋次郎、葛西善蔵、陸羯南、今東光、日出海兄弟、長部日出雄、棟方志功等である。

これらの人を論じることで、青森県の風土、地域特性、人柄・気質といったものが浮かび上ってくるようだ。

 石坂洋次郎は、懐かしい作家である。今ではほとんど忘れ去られたような作家だが、私の子供の頃、『若い人』や『青い山脈』などの小説が映画にもなった大人気作家であった。

今東光兄弟は、旧津軽弘前藩の藩士の家の生まれだという。司馬は新聞記者当時、今とは面識があったようで、今の同人仲間であった川端康成との思い出話にまで筆を進めている。

棟方志功は、「わだばゴッホになる」で高名な版画家である。その棟方の伝記『鬼が来た』を書いたのが、直木賞作家長部日出雄である。

すべて青森県の出身である。司馬は、「津軽は言葉の幸う国だからこの地の出身の作家は他県に比し多い。」と言うが、たしかに青森県の作家は異才をはなっているように思える。

 

鶴の舞橋と岩木山

 私は個人的には、青森県と言えば太宰治と棟方志功に収斂されていくように思うが、司馬がこれらの作家のうちで一番多くとりあげるのは、太宰治である。当然ながらその生まれ故郷である五所川原の金木町を訪れ、生家跡の斜陽館にも足を運んでいる。

そして太宰の小説からいくつかの言葉を引用し、そこから津軽の地域性や人間味のようなものを分析する。

「津軽地方は昔から他国の者に攻め破られたことがないんだ。殴られるけれど、負けやしない」(『津軽』)

「南部衆は、人前で自分を剽げてみせるときに、架空の自分に自分を語らせる。この芸術的衝動は、太宰治にもみられるように津軽衆にもある。」

自虐的な剽軽さは太宰だけのものではなく、津軽の風土的特徴だという司馬の指摘である。

 さらに、司馬はこんなことも書く。

「太宰は、東京より西に無関心だった。京都も奈良も長崎も見ることなく死んだ。太宰は、津軽と東京という二元性で生きていたかのようであった」

言われてみれば・・・新鮮な視点である。司馬が関西の出身であることも、この太宰論に投影されているのかもしれない。

 

 いささか司馬の太宰治論に傾斜してしまったが、本書にはその他、マタギ文化、「斗南藩」(下北半島に追いやられた会津藩)、義経伝説など幅広い話題に言及しており飽きることはない。

 最後に蛇足ながら、リンゴの名産地と言えば今では青森県が常識であるが、江戸時代リンゴの名産地は京都だったという意外な事実も明らかにしている。

お暇があれば、是非ご一読をお勧めする。