『歴史を考える』対談集 司馬遼太郎 文春文庫
司馬遼太郎が、萩原延寿(評論家)、山崎正和(評論家)、綱淵謙錠(小説家)の三人と繰り広げる対談集である。
萩原との対談は「日本人よ”侍”に還れ」とのタイトルが、山崎との対談は「日本宰相論」「日本人の世界構想」のふたつ、そして綱淵との対談は「敗者の風景」のタイトルがついている。
私が特別面白く読んだのは山崎との対談である。司馬と山崎の歴史よもやま話的な語らいは、知的かつ豊潤で私は快く刺激された。
山崎は、「日本人の世界構想」においてこんなことを言う。
「政治と、物を建てることの間には何か宿命的な繋がある。現代だったら万博をやるとか・・・。」
たしかにそうだと思う。ハコモノを造り注目を集めるのが政治家というものの習性であり宿命か、と改めて腑に落ちるのである。
また、こともこんな言う。
「日本には宝石を尊ぶ伝統はない。(中略) 金銀を貨幣にする知恵も近世までない。室町時代、金を輸出してかわりに銅銭をもらった。」
皮肉な指摘であるが、否定できない歴史的事実であろう。
「お茶が入って来る。輸出した中国では何十年たったって茶は茶でしかない。日本はお茶のもっている気分とか、美学のほうに関心が行く」
室町時代以降の茶道を例にひき、日本文化の特質についての山崎らしい考察を披歴する。生け花、書道を含めて日本の習い事の源泉に焦点を合わせるような意見である。
私は日本の文化論のようなものを好んで読む。とりわけ司馬と山崎という知性は、歴史教科書から学べないような日本文化の特質を見事に剔抉しているように思われる。
その面白さ、ユニークさというものは歴史観そのものではなく、あるいは歴史を語る一種のレトリックにあるのではないかと私は思っている。
最後に司馬の歴史観のようなものが透けて見える言葉を掲げておく。
「日本人には農村的現実主義というものがある。最善の考え方ではないが実際問題として周囲がそうなっているのだからまあいいだろうという現実主義」
痛烈な言葉のようだが、これもまた司馬独特のレトリックが横溢していると私は感じるのである。