Ⅱ 母子の紐帯

 

 めずらしく豪雪のあった冬のことである。

 わたしの住んでいた小さな村に火事があった。

   幸い自宅は類焼を免れたが、村の大半を焼き尽くす大

   火であった。

   母は少年の私を燃え盛る集落のほうへ連れて行った。

   積もり積もった雪は、跳梁乱舞する炎を映して朱に染ま

   っていた。

 そしてその上に、私と母の影を昏い戦きのように揺らめ

   かせた。

   不意に焼けた木片が弾けるように飛んできて、わたした

   ちの足元近くに雪煙をあげた。

 母はたじろぐこともなく闇に舞い上がる火の粉を陶然と

   見続けていた。

   私に母殺しの想念が芽生えたのはその時ではなかったか。

 炎に照らしだされる母の横顔はたとえようもなく美しか

   った。

   私は一度だけ母を殺害せんと試みたことがある。仏壇の

   線香と黴の匂いがする薄暗い部屋でしどけなく横になり、

   惰眠をむさぼる母の頸に私は腰紐を巻きつけた。

   母はほとんど歓喜の表情を泛べたまま私の手をすり抜け、

   そのまま駆け出していった。

 家の裏手の桜堤は、おりしも満開の桜で白く煙っていた。

 花吹雪のなかを、よろめきながら走る母の閃く着物の裾

   と白い足が私の眼を焼いた。

 実のところ、私の母は私を生んでまもなく発狂したので

   ある。

 爾来、母にとって私はひとつの玩具に過ぎなかった。

 だから、ある時には母は嬰児の私の頸を締めようとした

   ことさえあった。

   とすれば、私と母は殺意によってのみ母子の関係を維持

   してきたことになるのかもしれない。

 殺意が母子の紐帯という生活はいつまで続くのであろう

   か。

 

   

 

     若い頃に書いた散文詩(のつもり)です。ご笑読いただければ幸いです。