『ブッダ』 ティク・ナット・ハン著(池田久代訳) 春秋社

 

 ブッダの生涯とその教えを小説にしたものである。

長編で仏教用語が頻出するので難解は難解であるが、一章が二、三ページと短いので比較的読みやすいとも言える。

  釈迦王国の皇子として生まれたシッダールタが若くして出家、幾多の困難にもめげず自分の教えを広めてゆき、八十余年の生涯をとじるまでを描いている。

 何百、何千人の比丘、比丘尼をしたがえ祇園精舎や竹林精舎など寺院で自分の説を説き、多くの信者を増やしていく。実のところ私はさほどのブッダには試練や逆境、困難はなかったのではないかと思ってしまう。それともブッダにとってはいかなる困難、逆境も我々と違って困難でも逆境でもなかったのかもしれない。

 

 何と言っても本書のページを圧倒的に占めるのは「五蘊」や「八正道」、「三法印の教え」、「縁起」、「悟りへの三学」等といったブッダの教えである。

  私がわからないなりにこれが仏教というものではないかと思ったのが、こんな言葉である。

「<空>は非存在ということではない。何ものも独立しては存在しないという意味」

「この世のすべてのものは、それ以外のすべてのものに依存して生まれ、持続し、消えていく」

   浅薄ながら私は、自分一人だけでは生きられない。人間は、依存しあって生きているのだ、と理解するのである。

一方、私がよくわからなかった言葉が「気づき」という言葉である。この頻出する「気づき」という言葉は、例えば、こんな文脈の中で使われる。

「自分の息に気づくと<気づき>のなかに安住し、<気づき>のなかに安住すると、いろいろな思いが浮かんできても、それに迷わなくなる」

「気づきの修練をすることによって、あなた方は<完全なる理解>をもたらす集中力を育てることができる。」

 普通に考えると、「気づき」とは、気がつくこと、意識すること、覚醒することと解釈できるが、果たしてそれでいいのか、容易な言葉であるが私には難解とでもいうべき言葉であった。

 

  ところで、本書の著者テック・ナツト・ハンは禅僧であり平和活動家そして詩人でもある。この書は仏教文学の傑作とも言われる。一度読んで仏教とは、お釈迦さまとはを知ったつもりになるのも悪くはないと思う。私は仏教の原点ともいうべきブツダの教えの万分一くらいはわかった気になったと言えば傲慢であろうか。