浅草は、若い時からなにかと機会があり、よく行った街である。といって特別好きな街というわけではない。むしろ浅草は、ありふれた観光地といった感じで、さほど魅力を感じる街ではなかった

 今回もたまたま孫が行きたいと言い出したのがきっかけで、家族そろって浅草へ出かけた。

かつては東京散歩と名づけて名所旧跡を散策したものだ。この浅草も旧吉原遊郭のあったあたりを探索しょうと、浅草寺の裏の方を歩き回ったことがある。が、手術以後、ちょっとした坂道でもヒィーヒィ、ハァハァしんどくなるので遠出はなるべく避けていた。孫たちの手前、少し気合を入れて家を出た、


 

 今回訪れてみると、今までの浅草と違う印象を受けた。雰囲気がガラッと変わっている。仲見世通りは観光客で大混雑、まっすぐには歩けない。とにかく外人、外人、外人、歩いている9割以上は外人なのである。

レスラーのような金髪の女性が二、三人和服を着て歩いているかと思えば、ヒジャブで頭を隠したイスラム系の女性も目につく。日本人と同じような顔をしているが、どうも言葉が違う団体がぞろぞろ歩いている。金髪の美女がアイスクリームを食べながら歩いてくれば、汗をいっぱいかいた黒人が神妙な顔で手を合わせている。いかにも多種多様な人で満ち溢れているのである。

 私はこれら外国からの観光客を見ているだけでも楽しかった。多様性というがまさに目の前に展開されているのが多様性というものだと感じざるを得なかったのである。

 妻に言わせると、皆んな浅草寺しかお参りしないが、隣の浅草神社にもお参りすべきである。三社祭もこの神社の祭礼なのだという。ちょうど三社祭は次の日から始まるとあって、浅草神社では神主や巫女姿の女性が、祭り前の祝詞をささげていた。

 おなかが空いてきたので、あるラーメン屋に入った。ラーメンもほとんどが千円以上である。インバウンド価格とまでは言えないかもしれないが、私の価値観では高めである。店員も言葉は流暢であるがやはり日本人ではない。カタカナの名札をつけている。ベトナムあたりの若者であろう。ここにも多様性が及んでいる。多様性はもはや圧倒的な思潮であると痛感したのである。

 

門の裏側にある巨大なわらじ。これに触れると健脚になるという

 月に300万人以上の観光客が押し寄せる日本である。円安を享受する観光客には、それだけではなく日本の良さをよく味わってもらえたらと願うものである。