ちいさな娘が思ったこと

 

                 茨木のり子

 

   ちいさな娘が思ったこと

   ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう

   木犀みたいに

   くちなしみたいに

   ひとの奥さんの肩にかかる

   あの淡い靄のようなものは

   なんだろう?

   小さな娘は自分もそれを欲しいと思った

   どんなきれいな娘にもない

   とても素敵な或るなにか・・・

 

   ちいさな娘がおとなになって

   妻になって母になって

   ある日不意に気づいてしまう

   あのやさしいものは

   日々

   ひとを愛してゆくための

   ただの疲労であったと

 

 今日は母の日である。愛する子供達からの贈り物に莞爾としているお母さん方を想像する。

我が家でも、恒例の如く息子、娘からプレゼントが妻のもとに届いた。

 ところで、夫は母の日に何もしなくていいのだろうか、ちよっと悩む。母の日であって妻の日ではないのだから、何もしなくてもいいのは言うまでもないことだが、ちょっぴり落ち着かないものを感じる。夫も妻の日頃のご苦労に感謝して、何かプレゼントでもするべきではないか・・・。

 

 そんな思いもあって、私はこの茨木さんの詩を妻にそして日本の母にプレゼントしたいと思う。

母そのものを主題とした詩とはいえないが、娘、妻、母を含めた女性という優しい存在にあらためて気づかされるような詩ではないだろうか。

 木犀のような香りに喩えられているのは、母であり妻であったりする女性の正体であろう。たが、そのやさしさは一方で、ひとを愛してゆくための疲労であると、ちょっぴり皮肉な視線で詩をまとめている。

 茨木さんらしい厳しい眼も感じられるが、けっして女性を軽侮しているのではない。母の存在感の哀しみと包容力を賛歌しているような詩である。私がひそかに愛する詩である。