『魔法のチョーク』安部公房 百年文庫-『壁』

 

 貧しい画家が場末のアパートで朝から何も食べないでいると、ポケットから赤いチョークが出てくる。そのチョークで壁にリンゴやパン、コーヒーを描くとコーヒーカップがころげ落ちてくる。さらにリンゴやパンが出てきた。夢かと思い、もう一度リンゴを描くとやっぱり本物のリンゴが出て来る。

 一本のチョークで欲望がすべて満たされる。お金を描いてお金を出しては必要なものを街で買ってくるような生活になる。

 だが、すべて順調にいくというわけではない。窓を描くと何故か本物の窓にならない。描いた窓には外がないからである。外には当然山あり海ありの風景がある筈なのにそれがない。つまるところ窓を描くことは、世界の創造にかかわることだと思い知らされる。

物語の後半には一人の女性が登場し、アダムとイブのような関係になり、その女性からチョークを半分くれとねだられ与えてしまう。

さて、いかなる結果になるのか・・・。

 

 絵に描いたものが何でも飛び出してくる、いかにもファンタスティクな物語だと気軽に読んでいると、いつのまにか深遠な哲学的世界に誘い込まれる。

 窓とは世界を表象するものだと言われると、なんとなくそんな気になる。単に窓の絵を描いても実質が伴わないと窓にはなりえない。安部公房らしい諧謔が仕掛けられているのである。

 安部公房の小説には超現実主義的な話は少なくない。『他人の顔』、『箱男』など枚挙にいとまがない。この短編小説もその延長線上にあるとみることも可能である。

一見空想的ショートショートのような外見を装っているが、例えば星新一のショートショートと類似しているようだが、少し次元が違うように思う。

現実を虚構化することによって、現実の頼りなさ、あるいは奥深さを浮き彫りにするような作品ではないだろうか。

私たちにとって、今ここにある<現実>とは?、その実体とは?、改めて考えさせられるのである。

 

 

なお、本書は短編小説アンソロジー『百年文庫』(ポフラ社) のシリーズのうちの「壁」に収録されたものである。