桜から躑躅の季節へ。燃えるような紅色が鮮やかである。

 

 

 「古事記」を読んでいる。今まで部分的には何度も読んでいるが、通読したことがなかったので、今回は、『古事記』三浦佑之訳 文藝春秋 で通読を試みている。

 登場する夥しい神々や人物の名前がカタカナで表記されており、例えば「オホタラシヒコオシロワケ」(景行天皇)のように、読むのがひどく煩わしく、骨が折れる。

そんな「古事記」の文章であるが、ある一節が私の興味を引いた。

 

「いかにして作り生かしたかというと、焼けた岩にへばりつくごとくに死んでおったオオナムヂの骸を、貝の殻でもって少しずつ岩から剥がして、ウムギヒメが、それを待ち受けて、母神の乳の汁に薬をませ合わせて、ひどく焼けただれたオオナムチの体にくまなく塗ったのである。するとまもなく、オオナムヂはうるわしい男にもどって生き返ったのである。」  神代篇その三

 

 私は、はからずも先日読んだ『受難』を思い出した。この小説では、死んだ少女がIPS細胞の先端技術によって生き返るのである。

『受難』と『古事記』のこの箇所には明らかに共通のものがある。神話のオオムナチが生き返る話と、小説の少女が生き返る話は極めて相似しており、どういうわけか神話と現代の最先端技術がぴったり重なるのである。

 

 現代の再生医療では、人の血液、皮膚、歯などの細胞を無限に増やしたり、人工的に新しい細胞や組織、臓器を作り出すことができるという。現実に、眼の網膜が変性して視力が低下してしまったら、網膜の細胞を移植したり、心不全や心筋症には細胞をシート状にして心臓に移植することによって治療が可能になっているという。

 この延長線上には、小説の世界ではなく、現実に人間を生き返らすことができる時代がやって来ることが想定される。

 

 上の神話では、オオナムチの骸から何かを取り出し、母神の乳に薬を混ぜ合わせたものを塗るとオオナムチは生き返ったという。このくだりは、現代の再生医療の細胞シートを張りつける方法とだぶって見えるのは私だけではあるまい。

神話と現代の先端医療である再生医療が相関・共鳴していると思う所以である。

 神話が現在の最先端医療を予期していたのか、はたまた現代医療がおのずから神話的な物語を内包しているのか、そこには不思議なつながりがあるように思われる。

少なくとも、古代も現代も再生という願望・夢を共通して持っているということは否定できないと思う。