レモン哀歌

 

  そんなにあなたはレモンを待ってゐた

  かなしく白くあかるい死の床で

  わたしの手からとった一つのレモンを

  あなたのきれいな歯がかりりと噛んだ

  トパアズいろの香気が立つ

  その数滴の天のものなるレモンの汁は

  ぱっとあなたの意識を正常にした

  あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

  わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

  あなたの咽喉に嵐はあるか

  かふいふ命の瀬戸ぎわに

  智恵子はもとの智恵子となり

  生涯の愛を一瞬にかたむけた

  それからひと時

  皆山巓でしたやうな深呼吸を一つして

  あなたの機関はそれなりに止まった

  写真の前に挿した桜の花かげに

  すずしく光るレモンを今日も置かう

 

 

 高村光太郎の『智恵子抄』といえば、「智恵子は東京に空がない」という有名な詩を思い浮かべる。と言っても私は『智恵子抄』という本全体を一度も読んだことはなかった。図書館で何気なく手に取ったので読んでみた。『智恵子抄』の冒頭の詩「あどけない話」の一行目が「東京に空がない」である。

 

 高村光太郎は、彫刻家高村光雲の息子で、詩人で彫刻家でもある。その光太郎が亡き妻智恵子のことを偲び、追悼して綴られたのが『智恵子抄』である。

切々たる惜別と悲しみの情が溢れるような二十九篇の詩と文章からなる。

光太郎がフランス留学後(明治42年)、智恵子を紹介され、お互い熱く愛し合うようになり同棲が始まる。(大正3年)

17年間は穏やかに愛し合う夫婦であったが、悲劇が訪れる。智恵子に精神変調が兆し自殺を繰り返すようになり精神病院に入院することとなる。(昭6年)

その果てに、光太郎が見舞いに駆けつけ「持参したレモンの香りで洗われた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去った。」(昭和13年)となる。

 詩「レモン哀歌」は、この智恵子の臨終の様子を哀切極まりなく歌ったものである。

 

 光太郎は「智恵子は私との不如意な生活の中で愛と芸術との板ばさみに苦しみ、その自己の異常性に侵されて、刀折れ矢尽きた。」と述懐する。

また、「極度の純粋には社会性の存在する余地がない。社会性の喪失する時、当然その人は社会から閉め出される。それを人が狂人と呼ぶ」と書く。

 人の純粋性と狂気との関係を、悲痛な思いで分析し咀嚼する。智恵子の純粋さもさることながら光太郎の智恵子にかけた思慕の純粋さにも感動させられる。時代は百年近い前の話だが、その感動は胸に強く響くものがある。

 解説の詩人草野心平は光太郎が病院の帰り、「智恵子が死んだら僕はどうすればいいの?」と話しかけられ、「悲しみは針の束になってもぐりあるく。その吐け口を求めたのだ」と書いている。

 

 ところで、かつては悲劇的なあるいは純粋な愛を描いた小説やドキュメントが話題になったことがよくあったように思う。たとえば『愛と死を見つめて』などを覚えている。

だが、現代という社会は、男と女の濃密で純度の高い愛の物語をどこかに置き去ったのか、それとも関心がないだけなのか。

 男と女の関係は昔に比べずいぶん希薄になってしまったようにも思う。生涯未婚率が高まり、人口減少をきたしているのもゆえないことではないかと思ってしまうのである。

 

 

 桜がそろそろ満開である。皆さんお花見は済ませましたか。

私はここ二三日、熱が出たり嘔吐したりで体調すぐれず、それでも今朝は、なんとか近くの公園(桜が三十本ぐらいあります)をゆっくり散歩しながら見て回ることができました。