おとしもの
朧月夜です。桜はほぼ満開で、夜桜見物の人々がそぞろ歩いています。
この桜並木には、金魚すくいや綿菓子や甘栗の屋台、そしてたこ焼き、焼き鳥の屋台が並び、裸電球がまぶしく光っています。桜の木の下では、車座になってごちそうを広げている人達がいます。あちらこちらから笑いさざめく声や楽しげな歌声も聞こえてきます。
夜中の零時が過ぎました。屋台の裸電球がひとつひとつ消えていきました。さきほどまでの喧噪は潮が引くように静かになりました。
あたりが真っ暗になると、ぼんやり人影のようなものが現れました。じつは、桜の精たちなのです。
花見客が帰ってしまって誰もいなくなった桜並木に桜の精が現れたのです。淡いピンク色の人影が、何をするのでもなく、のんびり散歩をしているようです。
店じまいをしてロープのかかった屋台を横目で見ながら、桜の精たちは、こんなおしゃべりをしています。
「あのふわふわした綿菓子って、どんな味だろう」
「焼き鳥のおいしそうな匂いがかすかに残っているよ。なんだかお腹がすいてきたね」
しばらく歩いていくと、一人の桜の精が道端にあった何かを踏んづけてしまいました。何だろうと取りあげてみると帽子のようです。つばの小さな鳥打帽でした。
「まだ新品みたい。花見客のおとしものだね」
この帽子をどうすればいいのか、桜の精たちはお互いに顔を見合わせました。警察に届けようか。でも、この町の警察は遠いところにある。どうしたものか・・・。
翌日朝早く、桜並木まで散歩にきたお年寄りが、あるものを見つけました。桜の枝に帽子がつるされ、こんな張り紙がしてあったのです。
「おとしものです。この桜並木に落ちていました」
このことが口伝えで町に広まり、落とし主がわかり、帽子は無事持ち主のもとに返されました。
次の日も天候に恵まれ、花見客が大勢つめかけました。
桜の精たちの深夜の散歩も続きました。桜の精たちがおしゃべりをしながらあるところまでくると、道路からはみだすように黒いものが横たわっています。
こんなところに何のおとしものだろう。近づいてみると、だらしなく寝込んでしまった酔っ払いの男でした。
放っておくわけにもいかないと、一番若い桜の精が声をかけました。
「どうしたのですか。こんなところで寝ると身体によくないですよ」
ムニャムニャ言いながら起き上がった男の目に映ったのは、人のかたちをしたピンクの綿のようなものでした。
「で、でたっ!!」男は一目散で逃げていきました。
この日もおとしものを見つけました。定期券がひとつと女性のショールです。昨日のように桜の枝につるし。張り紙を出すことにしました。
翌日はめっきり暖かくなり、桜の花びらが一枚二枚と散り始めました。
この夜も桜の精たちが散歩していると、闇の中にうすぼんやりした塊が落ちているのに気づきました。白い霧を固めたような奇妙なものでした。
桜の精たちは、近寄ってそのふんわりした塊を手にとってみました。
いったい何だろう・・・。よくみているとだんだん見えてくるものがあります。
白い塊の中にまるで走馬灯のように映像が次々と浮かび上がってくるのです。
河原で水遊びしている子ども達、花火の夜、浴衣を着てアイスクリームをなめている若者たち、結婚式でしょうか、紋付袴で緊張した若い男の顔。初老の男性が若い女性社員から花束をもらい会社の門を出るところ、そんな映像がうっすらと浮かび上がりそして消えていくのです。
こんな映像が閉じ込められた、もやもやとした白い塊はいったい何だろうか・・・。
桜の精たちは額を寄せ合って考えました。
「人の思い出というものではないか」
少し腰の曲がったお年寄りの桜の精が真面目な顔で言いました。
自分の思い出を落としてしまった人がいるなんて、半分は煙につつまれた気持ちになりながらもみんなは納得したのです。次の朝、また桜の樹には張り紙がされました。
「思い出を落とした人はいませんか」