『マチネの終わりに』平野啓一郎著 毎日新聞社

 

 「運命とは、幸福であろうと、不幸であろうと「なぜか?」と問われるべき何かである。その答えのわからぬ当人は、いずれにせよ、自分がそれに値するからなのだろうかと考えぬわけにいかなかった」

 この小説に織り込まれたエピグラムのような言葉である。この小説の主調低音として全ページから聞こえてくるようである。

 

 恋愛小説である。アッと驚くような出来事が愛し合う二人を引き裂く。運命的というか人間の哀しい性というべきか、思わぬ別離がこの小説に深い陰影を投げかける。

 主人公は、ユーゴスラビア人で著名な映画監督の父と日本人母から生まれた女性。数か国語をしゃべれる世界的な通信社の女性記者。その彼女が愛するのは世界を舞台に活躍する日本の天才ギタリスト。出会ってすぐに二人は愛し合う。市井の片隅のどこにでもあるような恋ではない。いわば少しハイブロウな恋人たちである。したがって舞台もバクダッド、パリ、ニューヨーク、東京と世界を駆け巡る。

 この二人が神様のいたずらのような作為により別離し、それぞれ新しい相手と結婚する。だが、女性の相手の男は他の女のもとに去り別れることとなる。傷心のまま東京へ。そして再び相まみえるときが来る・・・。といった筋書きである。

 

 恋愛というものは、なんらかの障害、抵抗、挫折があってこそ光り輝くようなことはないだろうか。少なくともそれがなければ恋愛にドラマ性はない。三島由紀夫の「春の雪」でも禁忌な恋だからこそ劇的な世界をつくりだしているように思う。

 この小説も作家平野の知的な諧謔によって巧まれた恋愛小説という風に私は受け止めた。

現代という時代において、恋愛はどのような風景を描くのか、男と女はどのような存在か、作者は巧みにそして力強くそれを検証する、そんな恋愛小説ではないか、と私は理解するのである。

 それにしても、最後に再会する二人の未来はどうなるのか、小説ながら気になってしまう。再び作者の言葉を引く。

 

「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去はそのくらい繊細で感じやすいものじゃないですか?」