わずかに秋の気配も感じられるようになってきた。
今年の夏は散々な目にあったと言わざるを得ない。この二か月で五、六回は病院に通ったろう。嘔吐や下痢が続き、最後は喘息気味になって苦しんだが、やっと咳き込むことは収まった状態である。強烈な暑さによる夏バテから、身体の中の悪いところがすべて噴き出してきたようで、あらためて老いを痛切に感じる夏であった。
ところで、こんな経験はないだろうか。
普段、洗面所などで鏡に映る自分の顔を見ても、そんなに歳をとったなと思うことはないが、たまたま撮られたスナップ写真などを見ると、ゲッと唸ってしまう。いかにも老いさらばえた顔である。他人から客観的に見ればこうなのだということを改めて痛感させられる。
また、他人の歳とった顔を見て、自分の老いを改めて感じるということも私にはある。
たとえば、高齢化した有名人の写真をたまたま見て、昔の面影は残っているものの、現役時代あるいはその人気の絶頂期を偲ぶにはあまりにも変わっている。
嗚呼、この人たちもずいぶん歳をとったな・・・と思う。と同時にこの人たちもそうだから、自分も老いても何の不思議もない、と他人に照らし合わせ自分の老いを受け入れる、ということはないだろうか。
他人の老いにかこつけて自分の老いを自覚するというちょっぴり屈折した心情と、言えばよいのか。
こうやって老いを受け入れながらも、その受け入れる老いは着実に進んでいく。その老いと、どのように付き合っていくか、それが私の最大の課題である。
岡本綾子 72歳 樫山文枝 82歳
ネットから借用。 勝手に取り上げたこと、四人の方には大変失礼だと思いますが、お許しください。