自分が桶狭間で成功したのは奇蹟だった、マグレだった、ということを知っている。これが、彼が他の人とあきらかにちがう偉さではないでしょうか。普通の人間だったらオレはやったぞ、と生涯語り草にして、「あれを見習え、諸君!」とか何とかいうことになるでしょう。しかし、彼はついに、自分自身の成功を見習わなかった。信長のすごさはそこにあるようです。

             (「歴史の中の人間」)

 

 秀吉は家康に対してもそうであった。わずかな功に対しても大きく褒賞した。人は欲で動き、名誉心もまた欲望の上に載っかっているということを、いわばひどく質朴な哲学ながら、かたくそれを持していた。

             (「播磨灘物語」)

 

 戦術家としては武田信玄、上杉謙信ほどの天才はなく、外交家としても、家康の師匠格であった織田信長ほどの鬼才はなく、人心を攬る技術は豊臣秀吉に劣っているが、なにより家康のすぐれた点は、それら英雄とはくらべものにならないほど長命だったということである。

             (「風神の門」)

 

 司馬遼太郎の著作の中から、信長、秀吉、家康について言及している一文を抜き書きしたものである。それぞれ三人の個性を衝いた司馬独自の人物論となっているばかりでなく、三人に対する司馬の評価がよくわかる。

 何より楽しいのは、言葉のレトリックの面白さであろう。

とくに、信長のすごさを「自分自身の成功を見習わなかった」という言葉で巧みに表現しており、まさに司馬の面目躍如たる人物批評となっている。それに比べて秀吉や家康の人物像は、やや平凡といわざるを得ない。

 

 ところで有名な狂歌がある。

  鳴かぬなら殺してしまえホトトギス    信長

  鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス  秀吉

    鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス   家康

  江戸後期の「甲子夜話」という随筆に紹介されており、長く後世の人々に伝えられてきたものである。信長、秀吉、家康、三者三様の性格を見事に浮き彫りにし、それぞれの人間像がくっきりと立ち上がってくる。三人の人間像を語るうえで広く人口に膾炙し、圧倒的な影響力を持ってきたように思う。

 とはいえ、新しい信長、秀吉、家康像というものもあってもいいだろう。司馬独特の視点から掬い取った三人の人間像もその一つとして考えたい。