あれほど科挙の弊害から免れてきていたのですが、明治になって高等文官試験ができ、戦後は国家公務員上級職試験ですか、これは科挙ですね。

 

 昭和になってからの官僚、軍人で国家に責任を持つ者はほとんどいませんね。愛国、愛国と言いながら、結局は自分の出世だけでした。

 

 あれは高等文官試験、陸軍大学校および海軍大学校の合格者たちが国家をつぶしたのです。科挙がつぶしたのです。

   (「裸眼でみる「文明と文化」」『司馬遼太郎が語る日本』)

 

 

 司馬は、科挙を儒教文明の悪しき官僚主義として否定する。

だがそれにしても、高等文官試験や国家公務員上級職試験をも「科挙」と決めつけるのは、司馬の独断であり如何なものかとも思う。

 ここには司馬独自の文明批評や歴史認識が穿たれているように思う。司馬には司馬の痛切な思いが、これらの言葉の底に潜んでいることを理解する必要があるだろう。

 

 この程度の軍備を持った国が、なぜこんな大きな戦争を始めたのか、始めたのはよっぽどばかな人か、真に国家を愛さない人々か、ともかくも正気でない人たちだっただろうということでした。

自己や自国にとって、この程度の認識しか持たない人々につぶされた。

ばかな国に生まれてしまったという感じがありました。

     (「オランダの刺激」同上)

 

 

  ばかな国に生まれたという感慨は、日本が太平洋戦争に敗れた時、司馬が痛切に感じたものである。兵隊にとられ、その非合理で非人間的な体験を踏まえ、司馬はその根底に、明治から続いた高等文官試験や・陸・海軍大学校といった制度があり、これらが国家をつぶしたという司馬独特の歴史認識に至るのである。

 高等文官試験や国家公務員上級試験を、「科挙」と呼んではばからないのもわかるような気がするではないか。