気の向くまま中国に関する本を読んでいる。今回は『中国の大問題』丹羽宇一郎著 PHP新書について書く。

 

 著者は伊藤忠商事㈱の社長、会長を務めた後、中国大使として二年半にわたり中国に滞在したキャリアを持つ。「最も中国を歩き回った大使」を自認するほど自分の眼で中国を見て回わった。いかにも現場主義が窺える元商社マンである。

 尖閣問題が生じたとき、「媚中派」と右翼から攻撃されたが、国有化などせずにそのまま放置しておいた方が、日本の実効支配は固まったという見解を述べている。

「和すれば益、争えば害」(周恩来)という言葉を掲げ、争いの種をまいてばかりいるのが現状ではないかと嘆き、両国は大局に立ってどうやれば仲良くできるかを議論すべきであると言う。同感である。

 

 ところで、本書の巻末に資料として戦後の日中間の共同声明、条約、談話等九件が原文そのまま掲げられている。その主なものを挙げる。

①   日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(1972年、田中角栄・周恩来)

②   日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(1978年、園田直・黄華)

③   平和と発展のための友好パートナーシップの構築に関する日中共同宣言(1998年、小渕恵三・江沢民)

④   「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明(2008年、福田康夫・胡錦涛)                                                                     

 これらの日中間の条約・宣言の数々は、いかにして隣人として友好関係を築いていくか、先人たちの強い思いと相互の気づかいが込められているように思う。

 やはり一番有名なのは①であろう。戦後27年にしてようやく中国との国交を回復した条約である。戦後処理の意味もあったが、中国は戦後賠償金を受け取らなかった。韓国や東南アジアの多くの国には莫大な賠償金が支払われたにも関わらずである。それに代わってODAでの援助、日本の財界人(例えば松下幸之助氏)の無償の指導・協力が行われたこと等も見逃すことはできないが、賠償金放棄はやはり中国の寛大さとして評価すべきだろう。現今の福島原発の処理水に対する中国の反応と対蹠をなすものである。

 

 ところが、安倍首相の時代になると、一転関係は冷え込んでいく。長期政権にもかかわらずこうした日中間の条約・協定の類は見られない。安倍の視線は絶えずアメリカに向けられ、中国との友好関係を深めようという思いや機運は減退していく。

時代は急激に変わっていったのである。

その大きな要因は、中国がGDPで日本を追い越し世界で第二位の経済大国になったことである。日本から学び経済発展を期すというモチベーションがなくなったことである。ちなみに長く続いたODAの援助も最近廃止された。

 しかし、このままの日中関係でいいものだろうか。近隣同士の付き合いはとかく難しいのはウクライナ戦争でも同じである。しかも中国は共産党独裁の強権主義国で体制が異なる。

あえて私の独断と偏見を言わせてもらえば、中国は共産主義国家というより実態は極めて資本主義的国家であるということである。

 私の亡父は、中国人のことを「商売人」であるとよく話していた。商才に長け、したたかな現実主義的国民性を持っているということだろう。ということは利害が一致すれば比較的容易に友好関係が結べるということに他ならない。宗教や民族の対立といったアイデンティテイに関わる深刻な困難さはない。

著者である丹羽も言う、「両国は住所変更はできない間柄である。仲良くやる以外にない」