私の父母は、中国からの引揚者である。艱難辛苦のうえやっと母の実家にたどり着き、そこで残りの人生を過ごした。

   その引揚に関し父から聞いた話で記憶に残っているのは、生まれたばかりの私の姉を何度も捨ててしまおうかと思ったこと、蒋介石のおかげで無事帰国できたこと、帰国にあたり、ご近所の中国人から、又すぐに帰って来れるよと名残惜し気に見送られたこと等である。

   すし詰めの帰還船の中を、背中に大きなリュック、両手に重いトランクを持ち、そのうえに赤ちゃんを抱っこしなければならない。捨ててしまおうという気持ちはわからないでもない。満州でなくて中国(姉は済南で生まれたようだ)であったことが僥倖だった。満州であったなら私の姉は、生き延びることはできず亡くなったか、残留孤児になった可能性が高い。運がよかったというべきであろう。

   蒋介石については、調べてみると、日本人の引揚げに協力的で鉄道路線を可能な限り日本軍人、日本人居住者の輸送に割り当てたと言われる。生涯父は蒋介石への恩義を感じていたようだ。

   近所や職場の中国人から石もて追われるのではなく、名残惜し気に見送られたことは意外である。歴史認識といった難しい問題はさておき、市井の人間どうしの強い交流や人間関係があったことは否定できない。

 

  国家間の関係の中でも庶民レベルの関係というものをもう少し大切に考えるべきではないか。少なくとも国家間の戦争を抑止する大きな要素になるのではないかとも思う。

 もちろん歴史的、地理的、領土的対立、民族的、宗教的利害や怨念、イデオロギー的反目、あるいは覇権主義といった戦争を誘発する多くの要素は否定できないけれど、国家間の対立を、国民間の友愛・親睦で少しでも相殺させることができないものかと思ってしまう。どんな利害関係があろうと、殺し合いだけはやめようという強固な共通基盤をつくりあげことが何故できないのか、人間の愚かしさというしかない。

 終戦記念日式典の参加者も、戦後生まれが四割を超えたという。戦争の記憶は次第に薄れていく。記憶をどうやって繋いでいくのか。そんなことを思いながら私が親から聞いた戦争に伴う個人的な記憶を書いてみた。