『ハンチバック』市川沙央著 文藝春秋社

 

 この時期の恒例であるが、新しく発表された芥川賞受賞作品を読んだ。酷暑の中でも比較的集中して読むことができ一日で読んでしまった。それだけ濃密で衝撃的であったからかもしれない。

 

 主人公は親からの遺産で金には困らないが重度の障害者で、常時吸引器で痰を吸いとるような日常である。ハンチバック(せむし)の怪物と自嘲する。その彼女の夢は、普通の人間の女のように子供を宿して中絶することである。その夢を一億五千万円払ってかなえようとする。

 障害者ゆえの絶望や憤りに裏づけられた、歪んだというか屈折した願望が、この小説の基底部に流れているように思われる。

 著者本人の障害者としての苦悩、絶望、願望がそのまま投影されていると言うべきであろう。それはまた、自分自身の当事者性に真摯に向き合った小説とも言うことも出来る。

私は、その当事者性に意義と価値があり、この賞の対象ともなったのもそこにあるのではないかと思う。

かりに、健常者が書いたものなら種々問題が沸き上がったのではないかと想像してしまうのである。それだけ扱いが難しい内容でもある。

 この小説から窺える特徴の一つは、性的な描写がショッキングであるということだ。具体的に挙げないが、これを読んだ著者の父親が、その破廉恥さに激怒したというから推して知るべしである。

私は、同じように性的な描写で衝撃的なデビューを果たした、石原慎太郎の『太陽の季節』を思い起こさないわけにはいかなかった。ペニスで障子を突き破るという描写は今でこそ牧歌的な小説として微かな記憶に残っているが、当時は騒然となった文学的事件であった。

 もちろん私は、この作品がこうした話題性のために芥川賞を獲得しえたとは微塵も考えない。この賞にふさわしい力量と内容を備えていることは言うまでもない。

ただ、私の気のせいかもしれないが、この作品に対する選者たちの選評には何かしら明快さが欠けているように思った。微かな戸惑いの気配を感じざるを得なかった。それだけ重苦しいテーマと奇特な内容が扱われていることに他ならないのであろう。少し晦渋な感想を書いてしまったようだ。