後期高齢者になると、棺桶に半分足を踏み入れているようなものであるから、もはや夢や希望について考えたり語ることはない。どちらかというと、過去の思い出を反芻することが生きている証ようなものである。

  先日書棚の引き出しを整理したら分厚い袋が出てきた。何だろうと思い開いてみると、今まで旅行した各地の観光地、名所旧跡などのパンフレットの類である。どうやら、サラリーマン時代の後半、五十歳代以降旅行したもののようだ。

北は北海道旭川動物園から南は九州鹿児島南洲顕彰館まで全部で二、三十か所くらいのパンフ、案内書類である。終活の整理の一環として捨てようかと思ったが、それらを見ていると懐かしさが募り、ま、待てよ、捨てる前に写真に撮っておくのも悪くはないと、六枚の写真に収めた。

 

                     

         

 

 

 これらの旅行の多くは、社員旅行や会社の出張に伴うものである。むしろ、出張にかこつけた観光旅行みたいな旅が少なくなかった。

その最たるものとして福井県にある関連会社の工場視察の出張が鮮明に記憶に残っている。視察は形だけで、東尋坊、永平寺、そして一乗谷朝倉氏遺跡を廻り、ほとんど観光旅行といってもよい旅であった。また、たいした用件があるわけでもないのに、秋田出張所に「竿燈まつり」の時期にあわせ出張し、竿燈を見物したり、途中下車して角館を観光したりしたこともあった

 考えてみれば、昔の昭和のサラリーマンはいい加減というか、恵まれていたというしかない。これは何だろうと考えると、昔のサラリーマン社会の家族主義と無縁ではないだろう。独身寮、社宅などもその一環で、家族の一員として皆で頑張ろうというものではなかったか。現在では、社員旅行などしない会社の方が多いだろう。家族主義はいつの間にか消え去った。

 その是非はともかく、昭和のモーレツサラリーマンは家族主義のレールの上を果敢に走ってきたと言ってもいいだろう。

現在では終身雇用は否定され、これまで長く会社に務めた者の方が退職金の税金は少なかったのに、それを否定する税制改革が企画されているようだ。

本当にそれでいいのかとも思うが、もはや私には関係ない話である。社会はどんどん変わっていく、老人はついていけない。ひたすら思い出に浸るばかりである。

老人の繰り言である、お許しを。