川崎市に住んで、もうかれこれ40年は経つ。だがそんな実感はあまりない。妻などは生まれて結婚するまで住んだ東京巣鴨のことばかり話題にし、他の町のことにはほとんど関心がない。私にしても、住んだ年月が半分にも満たないのに、高校まで暮らした生まれ故郷のことが心に強く残っている。実際に長く住んでいるのに自分の町だという意識が希薄なのは不思議なことだ。愛郷心はその土地を離れないと感じないものなんだろうか。

『ルポ・川崎』を読んだ。あるラッパーの取材を中心に、不良少年たちの生態のようなものを通して川崎市という町の現状や特色を浮き彫りにしていくルポルタージュである。

 古い話で言えば、私の学生時代、川崎と言えば「堀之内」だった。「堀之内」のトルコ風呂が有名だった。今は「トルコ風呂」という言葉は使われなくなったが、いわゆる性風俗店である。

それでなくとも川崎のイメージは悪い。京浜工業地帯で巨大な煙突が林立するイメージがついて回る。さらにヘイトスピーチ問題や多摩川河川敷の少年殺害事件など負の話題にこと欠かない。

 著者は川崎の南北問題としてとらえる。川崎市は南北に細長い町である。著者によると高津区以北と中原区以南の南北に分けている。実際にこの両地区ある中学生同志が対立し南北戦争になった事例もあげている。

たしかに川崎市の南北のイメージの落差は大きい。私は著者と違い、川崎市を横断する南は京浜急行から北は小田急まで、何本かの電車路線のうち東急東横線を境に南北を分けるほうがより実態を反映するように思う。現在の武蔵小杉などタワマンが林立し昔とは違う。

南の負のイメージに対して北は昭和四十年代頃から急速に拓かれた新興住宅地である。私が住んでいるのは東急田園都市線沿線であるが、かつて『金曜日の妻たちへ』というテレビドラマで話題になったことがある。それだけ瀟洒で都会的なニュータウンのイメージがある。

 私の妻など、川崎に住んでいるというと、友達からいつもある種の偏見で見られるという。それを打ち消すのに大変で、実際、川崎駅に出るには一時間近くかかるのに、渋谷までは三十分あればいける。ほとんど東京と変わらないと主張しているようだ。

 あまり川崎の南北問題を強調するのはどうかと思うが、残念ながら現実にはそんなイメージが払拭しきれない。

本書を読んで初めて知ったことだが、川崎は「レコード発祥の地」であるという。大正時代京浜工業地帯が発展し、その中に日本コロンビア(旧名日本蓄音機商会)が川崎に工場を構えたことが由来である。もはやレコードも死語になりつつある。それだけ長い歴史を感じざるを得ない町であることも、つけ加えておきたい。