『一人称単数』村上春樹著  文藝春秋

 

「石のまくら」ほか七編の短編からなる。都会的で軽妙な、現実であるようなないような、そして奇妙な、いかにも村上ワールドが全開といったところの短篇集である。

 例えば「チャーリー・パーカー・ブレイズ・ボサノヴァ」や「ウイズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」そして「ヤクルト・スワローズ詩集」などは村上の愛するジャズやビートルズ、ヤクルト・スワローズ、それら日頃の趣味や愛好が濃密に投影された物語である。むしろエッセイに近い軽いノリの物語と言ってもいいだろう。

  比較的面白く読んだのは「謝肉祭」、「品川猿の告白」、「一人称単数」である。「謝肉祭」には醜い女性が登場する。興味深いのは、醜い女とは?といった村上独特の女の美醜論が展開される。

―僕らの暮らしている世界のありようは往々にして、見方ひとつでがらりと転換しまう。光線の受け方ひとつで陰か陽となり、陽が陰となる。正が負となり、負が正となる―

こういう拘らない柔軟な思考?が村上独特の小説世界と無縁ではあるまい。

「品川猿の告白」は、ある鄙びた温泉で人間の言葉を話す猿に出会い一晩猿のうちわけ話を聞く、といった現実ではありえない不思議な物語である。これも村上ワールドのひとつであろう。一種の大人の童話として私は読んだ。

 「一人称単数」も日常のちょっとした違和感、あるいは小さな迷路に踏み込んだような話である。

普段は身に着けたことのないブランドもののスーツとネクタイをして初めてのバーに行く、すると、一人の年増女から声を掛けられる。身に覚えのないことで何故か難癖をつけられどう対処すべきか悩む。

―私の中にある私自身のあずかり知らない何かが、彼女によって目に見える場所に引きずりだされるかもしれない―

村上の小説にはよくでてくるシーンであるようにも思う。日常とは次元の違う空間に一時的にはいりこんだような感覚である。

 村上ワールドの正体は何だろう。前にも書いたが「何も書くことがないことを武器に書き始めた」(『職業としての小説家』)と作家自身が自らを振り返るように、空無感を根底とした虚構が村上文学というものではないかと私は思う。

それはよく「デタッチメント」という言葉で表現されるが、政治や社会、歴史や人生に大上段に向き合わない、我が道をいくような小説はこの短編集でも健在である。

 なお、村上には『ねじまき鳥クロニクル』や、まだ読んでいないが新刊の『街とその不確かな壁』など歴史や人生に深く重く関わっていこうとする「デタッチメント」ではない村上ワールドもある。そしてその種の小説を私は高く評価することを念のためつけ加えておこう。