先日、かつての会社の同期会が四年ぶりに開かれた。コロナ禍により何度も延期してきたものである。会場となった銀座のビアホールへ向かう。今は円安の効果もあってか外国人観光客が目立つ。銀座通りを歩いている半分は外国人である。

 会場に入ると懐かしい顔が揃っている。ずいぶん久しぶりでとっさに名前を思い出せない者もいる。まっ白になった頭、深く険しくなった皺、それなりに歳をとったものだと思う。後期高齢者前後の老人たちである。東京近在の16名が集まった。

 私たちが会社に入ったのは1972年(昭和47年)だから、入社からちょうど50年になる。団塊の世代でもあり47組と呼ばれ最大の人数を誇った。昔は今と違って、生涯一つの会社に勤めるのが普通だった。独身の時は独身寮で、結婚してからは社宅から通勤した。昭和のサラリーマンである。

 ところで当日、出席の返事が来ていたにもかかわらず出てこない者がいた。電話しても連絡が取れない。どうしたんだろうと訝ったが、日にちを間違えたのだろうと思っていた。

後日わかった。なんと一週間前に心不全で急死していたのだった。驚いた。信じられなかった。

  彼は私たちの囲碁の会のメンバーの一人だった。今月の初めの囲碁の会で私は彼と二局打った。それまで私の方が分が悪く私が黒を持っていた。その日は一勝一敗の引き分けだった。その後、皆と軽く一杯やって別れた。その時は病気の影など一片もなく健康そのものだった。どこか調子が悪いという話も聞いていなかった。同期のなかでも副社長までなった出世頭だった。温厚な紳士だった。

 こんなこともあるのだ。あっけない死がショックだった。結局は人間なんていつ死ぬかわからないんだ、明日の我が身かもしれない。自分の身にも起こりうることだと改めて思った。欠席者の多くも脳梗塞だ心臓弁膜症だ等々なんらかの身体の不調で出られなかった者が多かった。これが老いというものなのだ。病と死に近しい季節であることを今更ながら思い知ったのである。