自転車はベタルを漕がないと倒れてしまう。倒産しそうな会社も資金の借り入れと返済を繰り返しながらかろうじて操業を続ける。いわゆる「自転車操業」である。
 経済そのものの本質にも、この「自転車操業」が組み込まれているように私は思う。
 最近、コメの銘柄ごとに炊き分けられる炊飯器のCMを目にした。次から次へと企業は新しい需要を作り出していくものだと感心した。いったんそれをやめると経済が止まってしまうかのように、新規需要を作り出そうとする。
 だが、この炊飯器にしても必需品というより趣味性が強く、かつての、洗濯機や掃除機やクーラーが出た頃の需要と違って、末梢神経的な需要と言わざるを得ない。私のような人間には、なくてもなんら痛痒を感じないものと言っても過言ではない。
 
 さらにAIのことまで言えば、自動運転車をはじめ、洗濯物を折りたたむことが出来る洗濯機、ドローンによる宅配便など現実のものとなりつつある。そのうちに人間は何もしなくてもよい時代となるかもしれない。
 将来「人間の復権」とか「原始に戻れ」などという運動がおこる可能性も無きにしも非ずではないかと私は思う。
 
 次から次へ需要開発する自転車操業的経済は、そろそろ限界に来たのではないか。
 需要は量というものに支えられるのだが、人口減でその量そのものが減少しているからだ。これは日本ばかりでなく多くの先進国の傾向である。
 サラリーマンの頃、営業は絶えず量の追求を課せられたものであるが、その量も大きな曲がり角に来ているのではないか。
 そう考えると、現在の自転車操業的経済は、虚構の繁栄であり空しい饗宴と言ってもいいのではないかと思うのだ。
 
 最後に、リニア新幹線を夢の新幹線のように言う人がいるが、8割はトンネルの中を走る新幹線に魅力があるだろうか。ひたすら土管の中を走るモグラのようなものだ。
 私はリニアで40分で名古屋に行くより、富士山を眺めながら現新幹線で1時間半かけて名古屋に行く方を選ぶ。