最近落語ブームだそうだ。
聞くところによると、今落語家の数は約800人にものぼるという。
大変な数だ。おそらく今までこんなに落語家のいた時代はあるまい。
大学出が多く、中には東大出もいるという。ウーンと考え込んでしまう。
はたして皆食べていけるのだろうかなどと余計な心配をしてしまう。
落語家というより噺家と言うほうがぴったりくるのだが、私には忘れられな
い噺家がいる。林家彦六、先代の林家正蔵である。今、林家木久扇師がよくこ
の師匠の声真似をするから、たぶん思い出す方もいるだろう。
大学の落語研究会の部活のなかで、噺家を招いて私たちの前で一席演じても
らう鑑賞会が年に数回あった。いつも学校のそばの蕎麦屋の二階を使わせても
らっていた。
その日は、林家正蔵を聞く会であった。演題はなんであったか忘れたが、
正蔵師は噺を終え、私たちの何点かの質問に応えたのち、こんなことを言った。
「皆で蕎麦でも食いましょうや」
蕎麦を皆におごってくれたのである。ギャラを払っていたが、たいした額で
はないから、おそらくそのギャラは十数人の蕎麦代に消えてしまったと思われ
る。こんなことは初めてであった。
桂文楽は黒門町の師匠と呼ばれたが、正蔵師は稲荷町の師匠と呼ばれた。
稲荷町の四軒長屋に借家住まいしていたからだ。
たいへん律儀な人で、こんな逸話も残っている。
定期券を持っていたが、それは寄席に通うときだけ、仕事には使うが遊びで
出かける時にはけっして使わなかった。
先代の爆笑王林家三平が亡くなった時には、正蔵の名跡をせがれの今の正蔵
に返した。(三平の父親が正蔵だった)
いかにも恬淡として、こだわりがなかった。その落語も律儀で生真面目な人
柄が現れるようだった。
芝居噺が得意で、岩波ホールで開かれた芝居噺を聞く会に通ったことも忘れ
られない。
落語ブームはそれはそれで結構な話であるが、たんなるブームに終わらせて
はいけない。なんと言っても、日本にしかない伝統的な話芸である。
その話芸の素晴らしさをさらに磨き、大きく長く育ててもらいたいと祈るば
かりである。