志賀直哉は<小説の神様>と呼ばれることがある。 この、いわば志賀直哉を神格化するような言葉は、わりと他愛ない理由によるもので、氏の小説『小僧の神様』にちなんでつけられた言葉であるらしい。
 もちろん、それだけではあるまい。志賀の小説への高い評価が前提にあることは言うまでもない。
 
  谷崎潤一郎は、その『文章読本』のなかで、何度となく志賀の作品を取り上げ、見事なお手本であると称揚している。たとえば、『城の崎にて』についてこう書いている。
 
 「華を去り実に就く」とはかう云ふ書き方のことであって、簡にして要を得てゐるのですから、此のくらゐ実用的な文章はありません。されば、最も実用的に書くと云ふことが、即ち芸術的の手腕を要するところなので、これが容易に出来る業ではないのであります。 
 
 こうした谷崎の評価が、<小説の神様>という言葉を引き出し、定着させたことは否定出来ないであろう。
 
 さて、その名作といわれる『城の崎にて』だが、三島由紀夫の『文章読本』においてでも取り上げられていて、両文豪の高い評価は一致している。
 
 身辺における蜂の死、鼠の死、蠑螈の死などを客観的に観察し、生き物の淋しさを淡々と描いた短編である。
     
 残念ながら、『城の崎にて』には比喩的な表現はない。
 『暗夜行路』をあたってみる。志賀の代表的長編小説である。谷崎の言う「簡にして要を得た」志賀の文章には比喩はおのずと少ない。意外なことにオノマトペ(擬態語) が多い。  兎に角、彼等の血は循環し、眼にも光を持ってゐる。が、自分はどうだら

 

自分の血は今はっきり脈を打つてながれてゐるとは思へなかった。生温かく只だらだらと流れ廻る。そして眼は死んだ魚のやうに、何の光もなく、
白くうぢゃぢゃけてゐる、そんな感じが自分ながらした。

 

門を入ろうとすると、其一週間前から飼って居る仔山羊が赤児のやうな声を出して啼いてゐた。彼は其儘裏へ廻って、物置と竝べて作った小さい囲ひの処へ行った
 
仔山羊は丁度子供が長ズボンを穿いたやうな足を小刻みに踏みながら喜んだ
 

 ああ稲の緑が煮えてゐる」彼は亢奮しながら思つた。実際、稲の色は濃かった。

強い熱と光と、それと真正面に受け、押し合ひへし合ひ歓喜の声を上げてゐるのが謙作の気持には余りに直接来た
人つ子一人ゐない。ヒューヒューと風の叫び、其風に波がしらを折られる。さあさあといふやうな水音、それだけで機関の響きも鎖の音も今は聴こえなかつた。船は風に逆らひ黙って闇へ突き進む。それが何か大きな怪物のやうに思はれた。 
 
 <小説の神様>の文章は、・・ゐた。・・行った。・・喜んだ。というふうに歯切れが良い。 
 ちなみに、谷崎は、文章の調子によって「源氏物語派(和文調)」と「非源氏物語派(漢文調)」に分けているのだが、志賀の文章を後者としている。
 
   最後に『暗夜行路』の最も有名なフレーズを引用する。  
彼は然し女のふつくらした重みのある乳房を柔らかく握って見て、云ひやうのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れてゐる感じだつた。軽く揺すると、気持ちのいい重さが掌に感ぜられる。それを何と云ひ現はしていいか分からなかつた。
「豊年だ!豊年だ!」と云つた。

    「豊年だ!豊年だ!」はまさに暗喩そのものではないか!