本日電車に乗っていると、幼い赤ちゃんを抱いた主婦が乗車してきた。
席も空いてなく、立ったままだったので、近くに座っていた僕は反射的に席を譲ろうと声を掛けた。
が、いともあっさり
『結構です~』
拒まれた。
恥辱…圧倒的恥辱っ…
僕は赤面しながら、元いた席に座らざるを得なかった。
周りが気になり、チラッ、チラッと見渡してみるとチラッ、チラッと視線を集めていた。
哀れみの眼差しなのか、はたまた賞賛の眼差しなのかはわからない。
いや、偽善行為でもなければ嫌々譲ろうとしたわけでもないので、堂々毅然としていれば良いものの、僕は如何なる時にも他人の目を気にしてしまう性分だ。
そこで、他人は他人をそこまで意識して見ていないと言うが、その意見に反論したい。
例えば、今日のような場面は客観的に良く見る光景だが、僕はそれを見る度に感激してしまう。
あんな見た目なのニー
外人なのニー
等受け入れられていようが、拒まれていようがその行為を意識し、賞賛する。
イイネ!って感じにだ。
また、逆も然りである。
携帯を弄りながら譲る気配のない者。
いかにも座りたそうに吊り輪にぶら下がりながら、羨望の眼差しで見つめる老人。
こういった光景を目にしても、
譲ってやれよとか、座りたいなら待ってないで声掛けろよとか、他人のどうでもいい事を意識してしまう。
個人的ではあるかもしれないが、赤の他人でも他人は他人を出来事や光景と結びつけて意識してしまうというのが僕の意見だ。
昔から、天邪鬼で優しいとか良い人とか成長したとか言われたり、思われたりすることが甚だ嫌な僕の気質も関係しているのかもしれない。
親しくなればなるほどこの気質が如実に表れる。
思ってる事を家族と素直に話せなかったり、仲間や恋人に優しくしたり、喜ばせたりしたいと思いながらもできなかったり等…
利害関係であれば、思い出しただけでも寒イボが立つような言葉が口をついて出てくるし言えるのに…。
一言で言えばまだまだ餓鬼なのだ。
他人にどう見られようが、思われようが、自分で良いと思ったことを行動に移せる人間になっていきたい。
そして、それらは必らず返ってくるはずだ。
因果応報
情けは人の為ならず
という言葉があるように
iPhoneからの投稿
席も空いてなく、立ったままだったので、近くに座っていた僕は反射的に席を譲ろうと声を掛けた。
が、いともあっさり
『結構です~』
拒まれた。
恥辱…圧倒的恥辱っ…
僕は赤面しながら、元いた席に座らざるを得なかった。
周りが気になり、チラッ、チラッと見渡してみるとチラッ、チラッと視線を集めていた。
哀れみの眼差しなのか、はたまた賞賛の眼差しなのかはわからない。
いや、偽善行為でもなければ嫌々譲ろうとしたわけでもないので、堂々毅然としていれば良いものの、僕は如何なる時にも他人の目を気にしてしまう性分だ。
そこで、他人は他人をそこまで意識して見ていないと言うが、その意見に反論したい。
例えば、今日のような場面は客観的に良く見る光景だが、僕はそれを見る度に感激してしまう。
あんな見た目なのニー
外人なのニー
等受け入れられていようが、拒まれていようがその行為を意識し、賞賛する。
イイネ!って感じにだ。
また、逆も然りである。
携帯を弄りながら譲る気配のない者。
いかにも座りたそうに吊り輪にぶら下がりながら、羨望の眼差しで見つめる老人。
こういった光景を目にしても、
譲ってやれよとか、座りたいなら待ってないで声掛けろよとか、他人のどうでもいい事を意識してしまう。
個人的ではあるかもしれないが、赤の他人でも他人は他人を出来事や光景と結びつけて意識してしまうというのが僕の意見だ。
昔から、天邪鬼で優しいとか良い人とか成長したとか言われたり、思われたりすることが甚だ嫌な僕の気質も関係しているのかもしれない。
親しくなればなるほどこの気質が如実に表れる。
思ってる事を家族と素直に話せなかったり、仲間や恋人に優しくしたり、喜ばせたりしたいと思いながらもできなかったり等…
利害関係であれば、思い出しただけでも寒イボが立つような言葉が口をついて出てくるし言えるのに…。
一言で言えばまだまだ餓鬼なのだ。
他人にどう見られようが、思われようが、自分で良いと思ったことを行動に移せる人間になっていきたい。
そして、それらは必らず返ってくるはずだ。
因果応報
情けは人の為ならず
という言葉があるように

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