今回は、ブログの趣旨とは全く関係無い個人的な哲学をネタにしたいと思う。

全うに生きてる人なら『世論』というものに幾らかの疑問を抱いたことがあるはずだ。

僕が思う世論とは、建前である。

「皆がそうしているからそうしよう。」

「こう言っておけば否定は無いだろう。」

確かに生きる上でのマナー(礼儀や思いやり)は当然持つべきものだ。

しかし、マナーとモラルは引き離して考える必要があると思う。

モラルは言わば損得を超えた人様に迷惑を掛けない自分の信じる道、つまり自らの正義でありそこに他人に干渉される必要は無いのではないかと考えている。

何故なら、そのモラルもマジョリティに屈してしまえば自分を失ってしまうのと同義ではないか?と思うからだ。

先の松本元復興大臣の件に関してもそうだろう。

失言や無礼な態度はあったかもしれないが、あれだけのマスコミに囲まれながら自分の意見を貫く姿勢は『馬鹿』と思わせる以上の信念があったと思う。

だが、世論はそれを許さない。

あの件の本質は、「復興を手伝ってやっている。」という本心をオブラート(それでも凄い恫喝に聞こえてしまったけど)に包んだように世間が感じたことによるものだと個人的に考えている。

仮に松本氏がそう思っていたとしても、ツイッター等をみて何も考えずに世論に同調して反発するのは如何なものかと思った。

擁護するわけではないけど、氏にも積み重ね築いてきた立場があるのに軽率な発言ではあったが、そう心から思ったりするのだろうか?
僕はそう思った。


仕事に関しても、人間関係に関しても建前や上辺だけなんて本当に寒い。
生きる上での本質を理解している人間は、そういった人間(俗に言うマニュアル人間)なんてあった瞬間に分かるし、そこから出る話なんて鼻で笑ってしまうだろう。

予定調和な人間なんて誰も興味を持ちはしない。
実際会社の面接や、異性を口説く時でもこの理論は通じると思う。

可愛い子に可愛いといっても何も感じてもらえないだろう。

自分の意見を本気でぶつけてからこそ、伝わる情熱や理想があると僕は感じている。




世論は確かに強大で、歯向かう者は徹底的に淘汰されていく風潮があるが、マジョリティに屈さず自ら考え、同意や反論を持たなければ、自分が自分で無いような気がしてならない。

単に反骨精神として大多数に逆らっているだけでは、政治を理解していないのにも関わらず政治をディスっている事と同じで、頭の悪い事ではあると思うけど・・・。

容易いことではないが、

I wanna be the minority!

これだけは信念を持ってぶらさない様に生きていきたいと思う。

どちらの意味でも、今俺は酔っているw

(完)