女王様はテレビの中で煌びやかなドレスを纏い、にこやかに手を振っている。

僕の仕事はこの女王様のご機嫌をとることだ。


女王様は毎朝必ずスムージーを飲む。
決まったお店の決まったメニュー。
一度注文をミスして、違うものを渡したら
機嫌をそこねて車の中にぶちまけた事があるから、注意が必要だ。

女王様は車の中で仮眠する。
BGMは要らない。
けれど人の気配が無ければ落ち着かないので、僕は車の中にいなきゃいけない。


女王様は仕事場に着くとあどけない少女のような雰囲気を纏う。
テレビや雑誌では『天然』なんて書き方をされている。

女王様の芝居は見事だ。隙がない。
「おはようございまーす」
と、ほどよく語尾をのばして小さく手を振りながら挨拶をする。
お偉いさんから「今日も可愛いね」なんて
口説き文句のような事を言われても
キョトンとしたあとで「え?私の事ですか?」と、とぼけてみせる。
そして照れたように「嬉しー」とはにかむ。
僕は何度となく目にした光景だが
みんなまんまと女王様の掌で転がされる。

女王様はとにかく優しい。…ふりをする。
仕事仲間の調子が悪そうだと
とても心配そうに見つめ、寄り添う。
その姿は聖母のように完璧だ。

当然、僕にだってその瞬間は優しいのだ。

どんな時も気にかけてくれるし、差入れのお菓子をわざわざ僕のところに小走りで持ってきて

「これ、美味しいよ」とにっこり笑ってみせる。

僕は小さく「ありがとうございます」と言って受け取る。

必ず誰かがそれを見ている。

ちゃんとその瞬間を解っているのだ。


長時間の仕事をこなし、女王様は屈託ない笑顔で

「お疲れ様でしたー」と全てのスタッフに挨拶をする。

小さく手を振り、何度も会釈をして車へと乗り込む。

瞬間、電池が切れたようにドサッと音を立てて

横になる。

「あぁーーー疲れたぁーーー」

と大きな独り言を吐いて

「ねぇ、なんか食べる物ないの?お腹すいたんだけど」と言うので

女王様がくれたお菓子を差し出すと

ギロリと僕を睨みつけ

「こんなんで腹ふくれると思ってんの?」と

そのお菓子を僕に投げつけた。

僕は「すみません」とだけ言って、構わず運転すると

ガンッと座席を蹴られた。

「ねぇ!お腹空いたんだけど!!」

女王様はかなりご立腹だ。

僕は車をコンビニに停め女王様の欲しがるであろうものを手当り次第にカゴに入れていく。

10分以内に戻らないと女王様の機嫌はさらに悪くなるので、急いで車へと戻る。


「お待たせしました!」とドアを開けると

女王様は眠っていた。

両手いっぱいに買い込んだ食べ物を助手席におき

僕は黙って車を走らせる。


自宅まで送り届けると、細心の注意をはらいながら女王様を起こす。

触ってはいけない。根気強く、何度も少しだけ大きな声で名前を呼ぶ。

女王様はムクッと起き上がって、無言でドアを開ける。

僕は慌てて、さっきコンビニで買い込んだものを渡すがチラッと袋を見ただけで中身を確認することもなく「要らない」と言って月に100万もするマンションの中へと入って行った。

こんな事はしょっちゅうだ。もうなんとも思わない。

明日は久しぶりの休みだ。

女王様の機嫌を気にしないですむ。



Prrr…!

眠りについてまだ3時間。

朝の5時に電話がしつこく鳴る。

せっかくの休みを邪魔されて、苛立ちながら着信画面を見ると相手は女王様からだった。





続く

3ヶ月前に中途採用で入ってきた田中くんは、いわゆる『エリート』らしいのだ。
有名大学をストレートで合格して、就職にも特に苦労はしなかったらしいが
最初の会社は肌に合わなかったとかで
半年ほどで辞めてしまったらしい。
そんな『エリート』らしい田中くんだが
未だにその片鱗は全く見えてこない。
そんな田中くんにかなりご立腹なのが
新卒採用で入社した相原さんだ。

相原さんはお洒落が好きな今どきの子。という感じで、仕事も一生懸命だし分からない事はきちんと聞いてメモにまとめておくような子で、上司としてはかなり好意的に彼女の成長を見ている。


ある日いつものように仕事をしていると
「田中さん!!!」
と相原さんの声が社内に響いた。
何事かと思いデスクを立つと
鬼の形相で田中くんを睨みつける相原さんと、なんだか釈然としない様子でムスッとした顔の田中くんが見えた。

相原さんは手に持っていた資料を田中くんの机に叩きつけ
「これ、なんなんですか!?」
と問いただす。
田中くんはムスッとしたまま
「何って…見ればわかるでしょ」
と特に説明もせず不貞腐れている。
相原さんが再び大声で怒鳴りそうなところをすかさずストップをかけた。
「ちょっと待って!一旦落ち着こう。どうしたの?」

相原さんはチラリと田中くんを見たあと
私に机に叩きつけた資料を手渡した。
「これは…昨年の売上データだね」
相原さんから受け取ったのは昨年の営業部の売上データだった。
「これがどうかしたの?」
相原さんは苛立ちながらはぁっとため息をついて
「これ、昨日田中さんにお願いしたものなんですけど、私は今年の売上データをまとめてください。って言ったんです。それなのに昨年のデータを提出するもんだから、数字が全然合わなくて昨日私と加藤さん遅くまで残業だったんですよ!」

話を聞くだけで目眩がしそうな事案だ。
どう考えても田中くんが悪いのだが、当の本人はなぜかずっとむくれている。

「田中くん…これは田中くんのミスだよね。」
思わずそう声をかけると
田中くんは「はぁっ」と短くため息をつき
「すみませんでしたー!これでいい?」
と挑発的な態度をとった。
「大体さこれくらいのことでいちいちあんな大声出さないでよ。結果、気付いて帰れたんだしたいしたことないでしょ」
とまで言い出した。

私も周りもあまりの身勝手さに呆気にとられていると

「あんたさぁ、いつも偉そうにしてるけどいい大学入っただけでしょ?その後は?正直全然つかえないんだけど。エリートだっていうからさぞ仕事が出来るんだと思ってたら、全っ然できないどころか無駄な業務ばっか増やして。あんた恥ずかしくないの?自覚ある?」
堪忍袋の緒が切れた相原さんがまくし立てるように田中くんに詰め寄った。

田中くんは勢いに圧されていたが
「底辺大学出が偉そうに!」
と苦し紛れの反撃をした。
相原さんはハッと笑い
「あんたさぁ、そのご立派な大学で何学んできたわけ?仕事もできねー、敬語も使えねー、礼儀もねぇ。底辺大学出よりつかえねぇじゃん。」
田中くんがまたも苦し紛れに
「下品な女だ!」
と、声だけは大きく言う。
相原さんはそんな田中くんにグイッと近付いて
「あんたさ、前の会社クビになったんじゃねーの?」
と聞くと田中くんの目は2倍に大きくなった。
その場にいた誰もが、相原さんの言っていることが真実なのだと気付いただろう。

田中くんは「気分が悪いから帰る!」と逃げるように帰って行ったが、当然無断で早退したことになるのでなにかしらの処分が下るだろう。


「相原さん!めっちゃスッキリしたよぉー!」と相原さんは様子を見ていた人達から口々に讃えられていた。
みんな田中くんには思うところがあったらしい。

その後田中くんは一度も出勤することなく
退職代行を頼んで会社を去っていった。

歩美とは幼稚園からの幼馴染で
特別仲がよかったわけではないが
歩美はいつも私のあとをついてくるような子だった。

歩美は地味で、どこまでも普通の子だった。
特に可愛いわけでもなく、スタイルがいいわけでもない。
勉強も運動も全部、私より下だった。

それでもなぜか歩美は私を慕い
大人になっても度々連絡をよこしては
様々なところに私と行きたがった。

私達は幼馴染というだけで、共通点もないし一緒にいてもたいして盛り上がることもないのだが
歩美はいつも私と会いたがった。


付き合って3年経つ彼と結婚してから
まもなく歩美も結婚した。
出来ちゃった結婚だった。

歩美は大きなお腹を抱えていても私と会いたがった。

私は何度か『大変だろうから、今度にしない?』と言ったのだが

歩美はいつも『私が会いたいの!』と返事をするのだ。


歩美が出産して、お祝いを持って自宅を訪れたとき

あまりに小さいその生き物に

私はとても感動した。

「うわぁ、可愛い…」と思わず声を漏らすほどに。


小さな体をぎこちなく動かしながら

大きな口で欠伸をして

むにゃむにゃ何やら口を動かして

ずっと見ていても飽きないほど可愛かった。


歩美は「ごめんね。ボサボサで」と言ったけど

歩美はだいたいいつもそんなもんだ。


歩美の子供と会って、自分でも子供を真剣に考えるキッカケになった。

夫も賛成してくれたのだが、なかなかうまくはいかなかった。

妊活を始めて1年が経ち、自然妊娠は難しいと2人で話し合い不妊治療を始めた。

不妊治療はなかなかにメンタルがやられる。

小さな子供を見るたびに(どうして私のところには来てくれないのだろう…)と

ペタンコなお腹をさすった。


病院に行って、結果を聞くたびに落ち込んで

貯めてあった貯金はどんどん減っていった。

途方に暮れ、全てが悲しくなって何度も泣いた。

それでも『いつか』と希望を捨てられなかった。


期待とは裏腹の結果をまた耳にした帰り道

歩美から連絡があった。

『久しぶりに会いたい!行ってみたいカフェがあるの!』

私はなんだか無性に腹が立った。

人がこんなに落ち込んでる時にこんな能天気な連絡をよこすなんて!

でも、仕方ない。歩美は何も悪くない。

私は『いいよ』と返事をした。


歩美は子供を連れてくるだろうか。

そしたら私はうまく笑えるだろうか。

泣き出してしまったらどうしよう。


そんな不安を抱えながらも待ち合わせのカフェに着いた。

歩美は1人だった。

私は心底ホッとして席についた。

歩美は私を上から下まで眺め、ふと俯いて

「ごめん、ボサボサで」と笑った。

私は元からそうじゃない。と思いながら

「そんな事ない。」と言う。


歩美はどこか気まずそうにしていて、周りをやたらと気にしているように見えた。

自分の格好を気にしているようだ。

歩美は妊娠してから、やたらと自分の身なりがボサボサだと言うが私にとっては『何を今更。』としか思わない。

元々身なりに気を遣っているようには見えなかったが、自分がボサボサなのは子供のせいだと言っているようで聞いててあまり気持ちのいいものではなかった。


歩美はやたらと子供の話をした。

私は適当に相槌をうちながら、『もうやめて!』と

心の中で叫んでいた。

私が望んでも手に入らないものを歩美は持っていて

それなのに『大変だ。大変だ』とばかり言う

望んだのは、選んだのは自分なのに。

自分がうまく笑えていたかは分からない。


コーヒーを口にした時、歩美が言った。

「まぁ、でも不妊治療とかしなくて済んでよかったわ」

言葉が出てこなかった。

自分の身体が震えているのが分かる。

全身の血の気が引いた。

チラリと歩美の顔を見ると、どこかそわそわと落ち着かない様子だった。

歩美は解っている。解っていてあえてこの言葉を私に吐いたのだ。

酷い女。醜い女。

もしも私が子供を授かれたのならこんなイヤな母親になんて絶対にならない。

もう1秒だって歩美と同じ空間にいたくない。

私は急用を思い出したと言い、そのままカフェを飛び出した。


家までどうやって帰ったか覚えていない。

あまりにもショックが大きかった。まさかあの歩美が私にあんな事を言うなんて…!

怒りと失望で思い出すだけでまた身体が震えた。


夫が帰宅した頃には落ち着きを取り戻したが、今日の出来事を話すとまた涙が溢れて止まらなくなった。

夫は優しく私を抱きしめながら

「子供のこと…いったん少し休もうか?」

と提案した。

「でも!年齢的にも急がなきゃ!休んだら…もう無理かもしれない…」

取り乱す私に夫は優しく言う。

「うん。沙織との子供が産まれたらすごく嬉しいし、幸せだと思うよ。でも僕はその為に結婚したんじゃない。沙織と一緒にいたいから結婚したんだよ。1度、そこに戻ろうよ。僕たちはどうして結婚することを決めたの?」

夫の言葉にプロポーズされた時の事を思い出す。

この人と結婚することがただただ嬉しくて、ただ一緒にいたいと思った。

子供がほしいからではなく、ただ彼とともに生きて行きたかったのだ。


私は呆然としながらも、ただコクンと頷いて夫の胸の中でわんわん泣いた。


それから、私達夫婦は不妊治療を休み夫婦だけで楽しむことを決めた。

シーズンごとに2人で休みを合わせて、1泊2日程度の小旅行に何度か出かけた。

それはまるで結婚する前の2人に戻ったようで、ただ純粋に楽しくて幸せで、子供のことで悩んでいたころとは違って私の気持ちはとても晴れやかだった。

そんな日々を1年ほど過ごして、私は自然と子供を授からない人生でもいいのかもしれないと思えるようになっていた。

夫にその事を告げると少し驚いた顔をしながらも

「うん。それでいいよ。」

と優しく微笑んでくれた。


しかし不思議なことにその1ヶ月後、私は妊娠した。

あんなに望んでいたときは来てくれなかったのに…

子供のいない人生を納得して受け入れたけれど、やはりどうしようもなく嬉しいものだった。

妊娠がわかったとき、夫も泣きながら喜んでくれた。私達はどこかで諦めきれてなかったのかもしれない。

けれど、夫婦2人だけで生きていくのも悪くない。と思っていたのも事実だ。


子供は順調に育ち、春に産まれてきてくれた。

夢にまで見た我が子は今にも壊れてしまいそうなほどに小さくて、儚くて、とても可愛い。

しかし育児は可愛いだけでは乗り切れない。

慣れない育児に夫婦揃って、てんやわんやだ。

でもあの時、夫婦だけで過ごしたあの時間は宝物だったのだと思う。

髪はボサボサで、メイクもしていない私。

あの時は想像もできなかった自分の姿を鏡で見て、私はなんだかとても誇らしいのだ。

あぁ、私、子育てしてるんだなぁ。としみじみ思う。

そう思わせてくれたのは、あの夫婦時間なのだと思う。


ふと脳裏に歩美の言葉が浮かんだ。

『ボサボサでごめん』

あれはどういう気持ちで言ったんだろう。

自信無さげに笑う歩美の姿を思い出す。

今ならちゃんと『そんな事ない』と言える。


歩美が私に劣等感を抱いていることを本当はずっと気付いていた。

だから私は歩美に会うときはうんとお洒落をしていたんだ。

いつも『ボサボサでごめん』て自信無さげに笑う歩美がもっと惨めになるように。

あの時の歩美の言葉を許す気にはなれないけど、私も大概ひどい。

私達はきっとずっと鏡のようなものだったんだろう。


私達はきっともう元には戻れない。

道で偶然会ってもお互いに気まづくて、気付かないふりをするかもしれない。

前みたいに2人で会って話すなんてことはたぶんもうない。

それが寂しいのかよく分からない。

私達は歪な友達だった。

互いに歪んだ自己愛の為に傷付ける相手だったのだろう。

楽しい瞬間もたくさんあったと思うけど、きっと私達はもう会わない方がいい。

この歪な関係を続ける意味がない。

ただそれでも、今はあなたの幸せを願える。

お互い見えない場所で幸せに生きて行こう。と

送る予定のないメールに打ち込んだ。