伊賀守金道
正解は「伊賀守金道」でした。非常に難解なものにお付き合いいただきまして、まことに申し訳ありません。次回はより判りやすいものを予定しておりますので、ご勘弁のほどを・・・・。入札は、平安城、秋広、綱広、氏房、義助等多岐にわたりました。まず刀姿より先反りが目立ちますので、室町以降と考え、およそ皆焼の刃紋は古刀とみたなら、末関、島田、末相州、高田、備前等を考えるのが常道だと思います。新刀と考えた場合は、やはり関の流れを汲むもので、尾張、美濃、山城、因州でしょうか、(稀に肥前忠吉、宗次系にもあります)ここまで絞った場合、画像及び説明ではこれ以上の判断は難しくなります。解説の中で「中心はやや刃上がり剣形」とありますので、ここがポイントとなります。上記の刀工の中心尻は殆どが栗尻となりますが、「剣形」となるのは、山城の三品一門の金道(吉道にもあり)であります。作柄的には越中守のほうが近い気がしますが、中心尻が相違します。また、蛇足ではありますが同じ皆焼でも波紋の調子がややおおどかで、こせつかない点はやはり山城かたぎでしょうか。さて、今回掲載しました金道銘は、従来初代とされておりますが近年二代説があります。金道銘は天正9年頃より作刀が現存し、従来二代とされていた菊紋を切る金道は寛永14年伊賀守を受領とされていますので、この間約56年となり、一刀工の作刀期間としては永きに過ぎます。そこでこの間に二代あったとするのは、無理からぬものと思われます。ところが、どこでこれを分けるかが問題となります。現状の二代説は、金の字が「金」となるものと「全」に近いもので区別しているようです。しかし、他の書体はほとんど似通っており、老年者から若年の銘に切り替わったとするには少々無理があるのではないでしょうか。画像7枚目は初代金道天正頃の初期銘とされているものです。(作柄的には板目が柾に流れた鍛えに白け映りが立ち、直刃を焼いて末関然としたものです)晩年の伊賀守と切る銘に比べ、むしろ老弱の感があるように思えますし、切り始めの拙い銘ではなく、完成された熟達の感があるとおもいます。ここで考えられるのは、この金道銘は親の兼道の晩年銘であり、その後いわゆる三品四兄弟の長男である金道に受け継がれ、菊紋を切る金道に繋がったとも考えられるのではないでしょうか?