不妊治療3年目の1年間を振り返ります✍️

1月
反復流産後、不育症の検査と
夫婦の染色体の検査を受けた。
結果は異常なしだった。
原因が分からず、また流産するのが怖かった。

2月
エストラーナテープを使って
移植3回目に臨んだけど
テープかぶれと痒みが酷く中止になった。
1周期を無駄にした。

3月
移植3回目に再度挑戦したけど
かすりもせずに陰性だった。
流産するのも辛いけど
かすりもしない陰性判定も辛かった。

4月
G-CSF注入のオプションをつけて
移植4回目に挑戦するもかすりもせずに陰性。
2回連続陰性判定で反復着床不全と
先生から言われ着床不全の検査を勧められた。

5月
EMMA.ALICE検査を実施。
ラクトバチルスが少し不足していたが
子宮内膜炎の菌の検出は無かった。

6月
子供が産まれた友達と初めて会って
その友達の変わりように驚いた。
子供が産まれたら
こんなに変わるんだって悲しくなった。
子持ちの友達と会うのがトラウマになった。

7月
初めての保険適応で臨んだ移植5回目。
内膜薄く子宮内に何か溜まっており
呆気なく中止になった。

8月
保険適応での移植5回目にリベンジ。
とにかく胚盤胞2個移植をやってみたくて
内膜薄いまま強行突破してみたけど
かすりもせず陰性で
受精卵に申し訳なくなった。

9月
ERA検査を受け
受容器前(1日ズレあり)であることが分かった。
これが着床しない原因ではないかと
希望を持つことが出来た。

10月
窓ズレを修正し胚盤胞2個移植。
保険適応で移植6回目に臨んだ。
かすりもせずに陰性で
自分達夫婦の血の繋がった子供を持つことが
出来ないんじゃないかと怖くなった。

11月
結婚式ラッシュでメンタルやられ
お金も沢山飛んでいった。

12月
最後の望みをかけた7回目の移植。
初めての自然周期で期待していたけど
かすりもせずに陰性で希望を失った。
もう地元でやっていける自信が無くて
関東への上京を決意した。

1年を振り返ってみると
一度もかすりもせず陰性で
あっという間に移植を5回していた。

どんどん鬱みたいになっていて
何もかもが嫌になって
死ぬことを考える自分がいた。

そんな自分を救ってくれたのは
関東への上京に賛成してくれた旦那だった。
本当に旦那には感謝している。

関東に上京したからと言って
必ずしも授かれるということはないけど
今後、自分の人生を歩んでいく上で
後悔しないために必要なことだと思った。

26歳で不妊治療を始めて来年には30歳になる。
20代後半は辛いことばかりだったから
30代は良い歳になると良いな。

今後、旦那との子供を授かれますように。

不妊治療1年目の振り返り