
大神山神社本社を訪れる。
大神山神社は、大山(伯耆富士)を霊山と仰ぐ、山岳信仰の神社であり、修験のメッカだった。神仏習合で、大智明権現として信仰され、現在の大神山神社奥宮を本宮としていた。
本宮は山中にあり、冬場は参拝が難しい。そこで里宮として大神谷に創建されたのが大神山神社本社である。大神山神社奥宮を夏宮と、大神山神社本社を冬宮と称した。
その後、冬宮は3度場所を変え、1635年に現在の尾高の地に遷宮した。これが現在の大神山神社本社である。
旅行会社のツアーに参加して3度この地を訪れたが、いつも行くのは大神山神社奥宮である。大神山神社本社はどういう神社なのかと気になっていた。
その穴埋め?のため、今回訪れた。地図で調べると、アクセスが難しそうだ。ということで、米子駅からタクシーで行った。
タクシーの運転手さんに、「大神山神社まで行ってほしい」というと、「エッ、山の上まで行くの」と訊かれた。「いや、平地にある方」と答えると、「あぁ、あそこか。参拝者はいないところですよ。いつも一人が二人がいいところだ」という。これで神社の状況が分かった。
タクシーから降り、参拝したが、結局、私一人しかいなかった。宮司さんはノンビリ境内の掃除をしていた。奥宮とは大違いだ。



祭神は、大穴牟遅神である。


(付記)
由緒を見ると、大神山神社本社の祭神は、大穴牟遅神であり、奥社の祭神は大己貴神である。いずれも大国主命の別名である。本社と奥宮でなぜ別々の名称を用いたのか、疑問が起きるところである。
以下は、AIによる回答である。長文なのでそのまま引用する。
### ◆結論(理由の核心)
大神山神社が **奥宮=大己貴神**、**本社=大穴牟遅神** と使い分けている理由は、
**神仏習合 → 神仏分離 → 祭神再編** の歴史過程によって、
奥宮と本社が **別系統の信仰施設として長く独立していた**ためです。
両者は明治以降に「同じ大神山神社」として統合されましたが、
**祭神名はそれぞれの歴史的文脈を引き継いだまま残った**ことが理由です。
## 🏔 1. 奥宮は「大山権現=地蔵菩薩」を祀る修験道の中心だった
奥宮はもともと神社ではなく、
**大山寺の修験者が祀った「大智明権現(地蔵菩薩)」の社**でした。
- 平安〜中世:大山は修験道の大霊場
- 奥宮は「夏宮」と呼ばれ、地蔵菩薩=大智明権現を祀る
- 僧兵3000人を擁する巨大宗教勢力
つまり奥宮は長く **仏教側の施設**であり、
大己貴神を祀る「神社」としての歴史は **明治以降**に始まります。
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## 🏛 2. 本社は「冬宮」=純粋な神社として発展
一方、本社(里宮)は
**冬季の祭祀拠点として麓に設けられた“冬宮”**で、
こちらは古くから **神職が奉仕する神社系の施設**でした。
祭神は大国主神の若名である **大穴牟遅神**。
つまり本社は **神道系の祭祀の流れを継承**しており、
大穴牟遅神という「若名」を用いる伝統が残りました。
## ⚖ 3. 明治の神仏分離で「奥宮=大己貴神」に再編
明治8年(1875)、神仏分離令により
奥宮から地蔵菩薩(大智明権現)が撤去され、
**本社の祭神(大己貴神)の御分霊を奥宮へ遷座**。
この時点で初めて奥宮は
**「大己貴神を祀る神社」**として成立します。
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## 🌀 4. なぜ本社は「大穴牟遅神」のままなのか
大己貴神と大穴牟遅神は **同一神の異名**ですが、
大神山神社では以下の理由で使い分けが残りました。
### ●(理由1)本社は神道系の伝統を継承
本社は古くから「大穴牟遅神」を祀る神社として成立していたため、
その祭神名を変更する必要がなかった。
### ●(理由2)奥宮は明治に「大己貴神」へ改められた
奥宮は仏教系の権現社から神社へ転換する際、
「大山=大己貴神が鎮まる神体山」という古代記録
(『出雲国風土記』の「大神岳」)に基づき、
**大己貴神の名を採用した**。
### ●(理由3)山の神=大己貴、里の神=大穴牟遅という構造
大己貴神は「成熟した国造りの神」、
大穴牟遅神は「若名=成長期の神」。
山岳信仰の中心である奥宮には **完成形の大己貴神**、
里宮には **若名の大穴牟遅神** が自然に残ったと考えられる
(これは文献の明示ではなく、信仰構造からの推論)。
## 🧭 まとめ(構造的に整理)
| 場所 | 歴史的性格 | 祭神名が残った理由 |
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| **奥宮(山腹)** | 修験道の権現社 → 明治に神社化 | 神体山=大己貴神という古代記録に合わせて再設定 |
| **本社(麓)** | 古くからの神社系「冬宮」 | 伝統的祭神=大穴牟遅神をそのまま継承 |
→ **両者は長く別系統の宗教施設だったため、祭神名の違いがそのまま残った。**