横浜総鎮守とされる伊勢山皇大神宮を訪れる。

 

 

横浜は、幕末の開港以前は小さな漁村だった。神社らしい大きな神社はなかった。そこで、明治になってから、時の神奈川県知事が横浜にふさわしい神社を創建することとした。1870年のことである。この経緯からも分かる通り、公的な色彩の強い神社である。

 

紅葉坂を上がり、お参りする。社殿へはなお階段を上がらなければならない。

 

神社名から分かる通り、伊勢神宮から分霊して建てられたもので、祭神は天照大御神である。

 

 

 

 

 

拝殿。

 

 

伊勢山皇大神宮の本殿は、伊勢神宮内宮の西宝物殿をそのまま移築したもので、これは珍しい。伊勢神宮の部材の一部を利用したという社殿は他にもあるが、ここは一棟丸ごと移築した。拝殿からも本殿が真正面に見えるような構造になっている。

 

横から撮影した。

 

 

 

多摩川駅前に鎮座する(多摩川)浅間神社を訪れる。

 

御朱印は華やかである。

 

ただ社務所のはじまりが10時からなので、9時ごろお参りしてもダメである。

 

 

浅間神社なので、祭神は木花開耶姫である。

 

北条政子伝説の神社で、北条政子が亀甲山(多摩川台)から富士を仰ぎ見、この地に正観音像を建てたのが始まりとされる。1185年~1190年間のこととされる。それゆえ、ここは富士浅間大菩薩と呼ばれた。神仏習合は明らかである。

 

鎮座するのは、多摩川台の南端である。

 

 

正面に拝殿が見え、背後の本殿の屋根も見える。本殿は二層建てで、浅間造りである。

 

拝殿の位置は普通のように見えるが、実は、これは古墳の上(浅間古墳)の上に建てられたものである。

 

 

古墳の上に建てられたようには見えない。前方後円墳だった。「前方」部分は東横線の開通のため開削され消滅。「後円」部分に神社があるが、ここも神社建築のため整地されてしまった。違和感のない普通の神社のように見えるのはそのためだ。

 

新橋駅前にある烏森神社を訪れる。

 

七夕限定朱印。

 

 

細長いウナギの寝床のような神社境内である。境内の一部をビルの貸地にしたものかと思っていたが、江戸切絵図でも細長い。もともとこういう形だったのだ。切絵図では鷹森神社となっている。

 

鳥居が不思議な形をしている。ここは主祭神が、倉稲魂命であるから、稲荷神社である。他に天鈿女命と瓊瓊杵尊を祀っている。天鈿女命は天岩戸の前で踊りを踊った女神であることから、芸事の神様である。新橋芸者に篤く信仰された神社である。

 

 

 

茅の輪があったが、作法通りの八の字にまわれない。まっすぐ通り抜けてほしいと注意書きにあった。

 

 

 

 

七夕の日に、芝大神宮を訪れる。東京十社の一つである。

 

七夕限定の御朱印。

 

 

芝大神宮については地下鉄・大門駅前に江戸時代の錦絵があり、当時の様子が窺われる。

 

 

江戸時代には芝神明と呼ばれた。ところが、江戸切絵図では飯倉神明宮となっている。公式には飯倉神明宮であり、通称は芝神明だった。

 

第一京浜通りに神社の石標がある。

 

 

 

社殿は2階にある。1階は駐車場である。水天宮と同じである。

 

 

神明宮であるから伊勢神宮系統で、祭神は、天照大神と豊受大神である。

 

 

芝大神宮の創建は、1005年である。伊勢神宮の遥拝所で、飯倉山に建てられた。飯倉神明宮と記されるのはここに由来する。

 

1598年、徳川家康は、飯倉の地に増上寺を移転した。移転の理由は、江戸城の裏鬼門を守護するためである。表鬼門を守護するのは上野の寛永寺だった。

 

その結果、飯倉神明宮は現在地に奉還し、芝神明を呼ばれるようになった。

再び、出雲の神社について書きたい。

 

御代神社を参拝後、八口神社を訪れた。素戔嗚尊が八岐大蛇の頭を切った場所に建てられた神社である。

 

(鎮座地)島根県雲南市加茂町神原

 

素戔嗚尊が八岐大蛇の尾から天叢雲剣を取り出したのが御代神社である。八口神社が八岐大蛇の頭で、御代神社が尾である。両神社は、10キロほど離れているから、大蛇だという伝説ができたことが分かる。

 

実際は、八岐大蛇は斐伊川の流れを象徴しているというのが定説である。八口神社は斐伊川が山間部から平野部に流れ出るところにある。こういう場所は、氾濫がおきやすい。御代神社のある場所は、流れが穏やかになるところだった。

 

もっとも、江戸時代に治水工事を行ったので、今の斐伊川の流れからは想像できないことである。

 

 

 

 

 

素戔嗚尊はここで八岐大蛇を退治した後、稲田姫を娶り、須我神社に初宮を建て、本拠とした。

 

もっとも話が合わないところがある。八口→須我だが、途中に、木次・三刀屋があり、この在地勢力の間を通過したことになるから、これは疑問が起きる。須我に本拠を置いた後、木次・三刀屋の在地勢力(八十神)を征服したことになるから、順序が逆ではないか。

 

解説によると、八口→須我は、尾根伝いに移動したという。当時は尾根伝いに移動するのが普通だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

飯田橋駅から歩き、東京大神宮を参拝する。もともとは伊勢神宮遥拝所で、日比谷にあった。関東大震災で被害を受け、現在地に遷座した。

 

表通りに面していず、探しにくい神社で、最初に訪れたときは道に迷った。なぜこんな裏通りにあるのかと不思議に思ったものだ。

 

今は周辺がビルが立ち並び、ビルの谷間に埋もれた感があるが、よく見ると、ここは高台である。ここに遷座した当時は、見晴らしが良かったのではないか。

 

日本最初の神前結婚式が行われたことで、縁結びの神社として名高い。従って、参拝者はほとんどが女性である。男は行きにくい神社である。

 

最初に参拝したのは、もう20年ぐらい前になる。若い女性ばかりで、境内は華やいだ雰囲気だった。

 

今回も女性がほとんどだったが、雰囲気は違う。華やいだ雰囲気がない。よく言えば、落ち着いている。悪く言えば、くすんでいる。

 

女性の服装の変化に驚く。今の女性の服装は、美しいとは思えず、昔を知る私にはイモ虫のように見える。イモ虫ルックと名付けている。

 

 

 

 

 

 

最初の神前結婚式は、1900年に当時の皇太子だった大正天皇が行ったものだ。

 

そもそも1898年の民法典の施行前は現在でいう「結婚制度」なるものは存在しなかった。結婚制度はまだ130年ぐらいの歴史しかないのだ。結婚制度が当たり前だと思っている我々は、その歴史の浅さに気がつかない。

6月24日に水天宮を参拝する。この日は一粒万倍日だった。

 

初宮参りの家族連れが多く、少子化が嘘のようである。

 

水天宮は、1階が駐車場で、2階が境内になっている。

 

 

境内入口。東京の都心の神社は、個性のあるものが多い。

 

 

 

 

一粒万倍日の限定御朱印。

 

 

もっと縁起のいい日があるのだ。

 

それは2026年7月19日

 

天赦日(最高の吉日。年に数回しかない。)

大安

一粒万倍日

 

と三つが重なり合った最高の日だ。日曜日だから、この日は縁起のいい神社をお参りしたい。

自由が丘に鎮座する熊野神社を参拝する。もっとも神社参拝よりも、自由が丘駅前の再開発状況を知りたかったからだ。

 

自由が丘は、私の同級生が住んでいたので、よく遊びまわったものだ。

 

しかし、熊野神社をお参りしたという記憶はない。不気味な場所という思いでしかない。蛇が出るぞと同級生に言われ、ビビった。

 

自由が丘の熊野神社の創建は不明。ここはかっては、衾村谷畑と呼ばれる地域だった。衾村の中心地は、八雲・碑文谷で今の都立大学駅周辺だ。だから、ここは村外れだった。村外れに置かれた鎮守様だった。

 

鳥居の横に道祖神があるが、村の境界を護る意味があったのだろう。

 

 

鳥居の横に道祖神がある。

 

 

 

 

 

<御朱印> 夏至の御朱印だった。

 

 

熊野神社から駅前の再開発ビルに戻る。外観は出来上がっていた。9月オープンということだ。名称は、自由が丘ミューズスクエアである。上は居住用マンションだが、分譲はしない。賃貸である。

 

 

 

南北線・溜池山王駅でおり、山王日枝神社を参拝する。

 

こここそ東京のど真ん中の神社である。周囲は高層ビルが立ち並ぶ。道路際に建つ日

吉鳥居が目立つ。

 

 

丘の上にあるが、エスカレーターがあるから楽だ。

 

 

 

上に上がって驚いた。工事中だった。工事の仮囲いで囲まれて、参拝するような雰囲気ではない。神門と北側の工事だが、完成するのは年内の予定である。しかし、昨今の建築事情を考えると、不確定である。

 

 

この季節だから茅の輪が置いてある。

 

 

 

なぜ工事中だったのかというと、創建550年記念工事なのだ。太田道灌が創建したのが1478年という。2028年が創建550年記念イヤーである。

 

祭神は大山昨命である。比叡山(日枝山)の地主神である

 

 

御朱印に「皇城之鎮」とあるのは、山王日枝神社が江戸城の守護神だったからである。

 

新しくレストランができていた。山王茶寮という。ランチが2000円~3000円という話だ。

 

梅雨で、モヤっとした気分に陥る。気分転換に外出。外出してから、どこは行こうかと考える。

 

こういう時はいくつかの神社が思い浮かぶが、今回は靖国神社にした。

 

梅雨時の靖国神社はどうだろうか?

 

大鳥居から入るが、両側にポールが組んであって、祭礼が近いようだ。”みたままつり”が来月13日~16日に行われる。その準備が早くも始まったのだ。

 

 

靖国神社の前身、招魂社を創建した大村益次郎の銅像の前を通る。

 

 

参道は長い。境内は、東京都では、明治神宮に次ぐ広さがある。

 

 

警備員がいて、物々しい雰囲気が漂う。

 

 

 

社殿。国家神道にふさわしい重厚な造りだが、戦後の1958年に再建されたものだ。以前の社殿は戦災で焼失してしまった。

 

 

参拝後、社殿の背後にある神池庭園のベンチで休む。梅雨の季節で、時おり雨がぱらついたが、ゆっくりと休めた。

 

 

季節限定の御朱印を買い求める。”みたままつり”の時はこういう光景になるのだろう。