飯田橋駅から歩き、東京大神宮を参拝する。もともとは伊勢神宮遥拝所で、日比谷にあった。関東大震災で被害を受け、現在地に遷座した。

 

表通りに面していず、探しにくい神社で、最初に訪れたときは道に迷った。なぜこんな裏通りにあるのかと不思議に思ったものだ。

 

今は周辺がビルが立ち並び、ビルの谷間に埋もれた感があるが、よく見ると、ここは高台である。ここに遷座した当時は、見晴らしが良かったのではないか。

 

日本最初の神前結婚式が行われたことで、縁結びの神社として名高い。従って、参拝者はほとんどが女性である。男は行きにくい神社である。

 

最初に参拝したのは、もう20年ぐらい前になる。若い女性ばかりで、境内は華やいだ雰囲気だった。

 

今回も女性がほとんどだったが、雰囲気は違う。華やいだ雰囲気がない。よく言えば、落ち着いている。悪く言えば、くすんでいる。

 

女性の服装の変化に驚く。今の女性の服装は、美しいとは思えず、昔を知る私にはイモ虫のように見える。イモ虫ルックと名付けている。

 

 

 

 

 

 

最初の神前結婚式は、1900年に当時の皇太子だった大正天皇が行ったものだ。

 

そもそも1898年の民法典の施行前は現在でいう「結婚制度」なるものは存在しなかった。結婚制度はまだ130年ぐらいの歴史しかないのだ。結婚制度が当たり前だと思っている我々は、その歴史の浅さに気がつかない。

6月24日に水天宮を参拝する。この日は一粒万倍日だった。

 

初宮参りの家族連れが多く、少子化が嘘のようである。

 

水天宮は、1階が駐車場で、2階が境内になっている。

 

 

境内入口。東京の都心の神社は、個性のあるものが多い。

 

 

 

 

一粒万倍日の限定御朱印。

 

 

もっと縁起のいい日があるのだ。

 

それは2026年7月19日

 

天赦日(最高の吉日。年に数回しかない。)

大安

一粒万倍日

 

と三つが重なり合った最高の日だ。日曜日だから、この日は縁起のいい神社をお参りしたい。

自由が丘に鎮座する熊野神社を参拝する。もっとも神社参拝よりも、自由が丘駅前の再開発状況を知りたかったからだ。

 

自由が丘は、私の同級生が住んでいたので、よく遊びまわったものだ。

 

しかし、熊野神社をお参りしたという記憶はない。不気味な場所という思いでしかない。蛇が出るぞと同級生に言われ、ビビった。

 

自由が丘の熊野神社の創建は不明。ここはかっては、衾村谷畑と呼ばれる地域だった。衾村の中心地は、八雲・碑文谷で今の都立大学駅周辺だ。だから、ここは村外れだった。村外れに置かれた鎮守様だった。

 

鳥居の横に道祖神があるが、村の境界を護る意味があったのだろう。

 

 

鳥居の横に道祖神がある。

 

 

 

 

 

<御朱印> 夏至の御朱印だった。

 

 

熊野神社から駅前の再開発ビルに戻る。外観は出来上がっていた。9月オープンということだ。名称は、自由が丘ミューズスクエアである。上は居住用マンションだが、分譲はしない。賃貸である。

 

 

 

南北線・溜池山王駅でおり、山王日枝神社を参拝する。

 

こここそ東京のど真ん中の神社である。周囲は高層ビルが立ち並ぶ。道路際に建つ日

吉鳥居が目立つ。

 

 

丘の上にあるが、エスカレーターがあるから楽だ。

 

 

 

上に上がって驚いた。工事中だった。工事の仮囲いで囲まれて、参拝するような雰囲気ではない。神門と北側の工事だが、完成するのは年内の予定である。しかし、昨今の建築事情を考えると、不確定である。

 

 

この季節だから茅の輪が置いてある。

 

 

 

なぜ工事中だったのかというと、創建550年記念工事なのだ。太田道灌が創建したのが1478年という。2028年が創建550年記念イヤーである。

 

祭神は大山昨命である。比叡山(日枝山)の地主神である

 

 

御朱印に「皇城之鎮」とあるのは、山王日枝神社が江戸城の守護神だったからである。

 

新しくレストランができていた。山王茶寮という。ランチが2000円~3000円という話だ。

 

梅雨で、モヤっとした気分に陥る。気分転換に外出。外出してから、どこは行こうかと考える。

 

こういう時はいくつかの神社が思い浮かぶが、今回は靖国神社にした。

 

梅雨時の靖国神社はどうだろうか?

 

大鳥居から入るが、両側にポールが組んであって、祭礼が近いようだ。”みたままつり”が来月13日~16日に行われる。その準備が早くも始まったのだ。

 

 

靖国神社の前身、招魂社を創建した大村益次郎の銅像の前を通る。

 

 

参道は長い。境内は、東京都では、明治神宮に次ぐ広さがある。

 

 

警備員がいて、物々しい雰囲気が漂う。

 

 

 

社殿。国家神道にふさわしい重厚な造りだが、戦後の1958年に再建されたものだ。以前の社殿は戦災で焼失してしまった。

 

 

参拝後、社殿の背後にある神池庭園のベンチで休む。梅雨の季節で、時おり雨がぱらついたが、ゆっくりと休めた。

 

 

季節限定の御朱印を買い求める。”みたままつり”の時はこういう光景になるのだろう。

 

 

 

御代神社を訪れる。素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したことはよく知られているが、その時、八岐大蛇の尾がこの地まで伸びたのである。その尾から天叢雲剣(草薙剣)が取り出されたが、その場所がここである。由緒のある神社である。

 

(鎮座地)島根県雲南市加茂町三代

(祭神) 素戔嗚尊 稲田姫命

 

神話から分かる通り、地形的には、古代出雲の治水・開拓の根拠地だった。

 

 

 

 

 

 

斐衣神社を訪れる。

 

(鎮座地)島根県雲南市木次町里方

(祭神) 素戔嗚尊 櫛稲田姫

 

素戔嗚尊が討ち取った八岐大蛇の頭を埋めたとされる場所にある。斐衣神社を氷川神社のルーツとする説もある。

 

目の前を木次線が走っている。

 

 

 

 

 

 

 

三屋神社から、來次(きすき)神社へと移動する。

 

(鎮座地)島根県雲南市木次町木次

(祭神)大己貴命

 

神社名の「來次」の意味は、ここに「来て留まる」という意味である。古代の「次」は順番を表す意味ではない。至りつく、留まるという意味である。

 

大己貴命が荒ぶる八十神をここに追い詰めて、留まったという意味がある。八十神を奥出雲から追い出し、二度と入れないようにした。

 

八十神勢力は多分全滅したのだろうが、神話では直接には描かれていない。

 

木次町は奥出雲への入口だった。奥出雲に出雲族の本拠地があったのだ。しかし、熊野大社のある意宇川沿いも出雲族の本拠地とされているので、二つの本拠地があることになる。

 

奥出雲は、たたら製鉄の本拠地、意宇川沿いは祭祀・政治の本拠地だったと理解されている。個人的には、二つの氏族があったような気がする。

 

來次神社前。木次線が走っていた。木次線の背後は斐伊川である。

 

 

 

 

 

神社から下を見る。ここは谷の入口で、狭い。大己貴命はここに留まったが、狭い地域なので移動し、実際に治めたのは三屋神社地域である。來次神社と三屋神社は関連している。

 

三屋(みとや)神社を訪れる。

 

(鎮座地)島根県三刀屋町給下

(祭神)大己貴命

 

三屋神社(みとやじんじゃ)は、出雲国風土記に「御門屋社(みとやのやしろ)」として記される古い式内社である。

 

 大国主命(大己貴命)が国土経営を開始した地=御門(みかど)として伝わる、出雲神話の核心に位置する神社である。

 

重要な神社だが、出雲の観光スポットからは距離がありすぎ、出雲研究者以外は訪れるものは稀だろう。

 

 

 

 

 

周辺を見渡す。大国主命が初めて治めた地がここなのだ。

 

 

 

 

こういうところを見ると、現代人が出雲と考えるところとの相違を認識する。

 

我々が出雲というと、まず出雲大社であり、松江である。宍道湖を中心に考える。

 

しかし、古代出雲は現代とは異なる。そもそも宍道湖は海(入海)で、今より海水面が高かった。松江は海面下であった。松江市が形成されたのは江戸時代に入ってからであり、埋め立てによるものだ。江戸と同じだ。

 

古代の出雲族の本拠は、三屋神社の由来を考えると、このあたりにあったと考えざるを得ない。

 

 

雲南市にある飯石神社を訪れる。出雲の神社の中でも最古層に属する神社と云われている。

 

(鎮座地)島根県雲南市加茂町宇治

(祭神)伊毘志都幣命(いびしつべのみこと)

 

祭神の伊毘志都幣命は、天照大神の第二子、天穂日命の御子である。そして、出雲国造の祖神である。出雲国造の末裔は、出雲大社の宮司の家系である。

 

ということで、飯石神社の古さと重要性が分かる。

 

飯石神社は、祭神の伊毘志都幣命が降臨した場所である。その降臨した磐石が御神体で、本殿がない。注連縄もない。狛犬もない。随神門もない。

 

あるのは、降臨した磐石と拝殿のみ。それと結界を示す鳥居が立っている。太古の神社はこういうものだった。

 

境内は細長い。

 

 

鳥居がある。結界を示す。その背後の建物が拝殿だが、鳥居からは側面部分が見え、お参りするには右側へ回らなければならない。鳥居→拝殿→本殿(磐石)と直線状に並ぶのが通常の神社の形だが、敷地が狭く、直線状にできなかった。敷地の狭い神社ではこういう例が他にもある。

 

 

これが伊毘志都幣命が降臨した磐石。

 

 

周囲の景色を見る。川が流れている。飯石川である。

 

 

なぜここに降臨したのかという問題がある。出雲族の力の根源は、奥出雲のタタラ製鉄の産地である。その奥出雲への入口がここになる。

 

出雲族の本拠地は、意宇川沿いだったとされる。流れとしては、奥出雲→飯石→意宇川→出雲大社というラインである。

 

ということで、飯石は要の土地だった。