日本五大稲荷のひとつという高橋稲荷神社を訪れる。

 

五大稲荷とは何かという疑問はある。頭に浮かぶのは、伏見、笠間、祐徳、太鼓谷、そして高橋の五つである。

 

(鎮座地)熊本県熊本市西区上代

(祭神)宇迦之御魂大神

 

高橋という名称から個人が建てたように思えるが、実際は鎮座地の地名である。1661年創建。海蔵寺の鎮守の神だったが、海蔵寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、稲荷神社だけが残った。

 

稲荷山の中腹にある。

 

 

 

登り口に大きな提灯があって、驚く。

 

 

拝殿。

 

 

 

赤い鳥居は、ここから階段を上がったところに立っている。

 

 

 

上に上がり、周囲を見る。高橋稲荷神社の全景である。

 

 

御朱印。

 

 

木原不動尊から六殿神社へと向かう。近い。

 

六殿神社は国指定の重要文化財の楼門を持つ。

 

(鎮座地)熊本県熊本市南区富合町木原

(祭神)阿蘇大明神 天照皇大神 埴安姫神 諏訪大明神 氷川大明神 稲成大明神

 

六柱の神を祀っているので六殿神社である。地元の人は、六殿宮(ろくでんぐう)と呼んでいる。

 

1155年ごろ、源為朝が遥拝所を設けたのが始まりとされる。その後、1178年に高倉天皇の勅願により、社殿が建てられた。

 

 

室町時代の建てられた釘無の楼門が有名である。国指定重要文化財である。

 

 

楼門よりも、この石造りの鳥居の方に目が行った。古くて、いまにも倒壊しそうに見えたからである。

 

 

楼門。室町時代のもの。釘を使っていない。よほど精緻な造りと思えるが、建物には疎いのが残念である。

 

 

 

拝殿。

 

 

 

御朱印。

 

日本三大不動と云われる木原不動尊を訪れる。

 

(住所)熊本県熊本市南区富合町木原

(本尊)不動明王

 

日本三大不動とは、成田不動、目黒不動、木原不動のことを言う。目黒不動でこのことを知った。調べると、木原不動は熊本市にある。八代神社をお参りした帰りに木原不動に立ち寄る。

 

木原不動の正式寺号は雁回山長寿寺である。延暦年間に最澄が開基したと伝わる。本尊の不動明王像も最澄が一刀三拝して刻んだとされる。

 

この由緒で、日本三大不動の一つとされたものか。

 

訪れてみると、…普通の寺で、いささか拍子抜けした。境内に人気がなく、私一人が佇む。住職さんは、インターフォンで呼び出した。

 

 

御朱印。

 

 

 

妙見信仰発祥の地である八代神社を訪れる。

 

(鎮座地)熊本県八代市妙見町

(祭神)天之御中主命 国立常尊

 

妙見信仰は北極星・北斗七星を宇宙の中心と考える。そのパワーの守護を頂く信仰である。妙見さんとして親しまれている。全国各地に妙見さんがあるが、その発祥の地が八代市である。なぜここから始まったのか、気になるところである。

 

その理由は、そもそも妙見信仰が中国の信仰だったからである。中国発の信仰が東シナ海を渡り、九州の竹原の津に上陸した。680年のことという。

 

当時の竹原の津は中国・朝鮮との交易の重要拠点だった。竹原の津は八代市の北部にあったというが、現在では海から10キロほど内陸にある。海面が後退したこととその後の干拓による。

 

竹原の津に上陸した妙見神は758年に横嶽ノ嶺に鎮座した。795年に妙見上宮が建立された。ここから段々山を下り、中宮、下宮が建立された。今、私たちが訪れるのは下宮である。

 

 

神門を通るが、神門の背後に拝殿がある配置になっている。

 

 

 

拝殿。

 

 

境内は、広いとはいえない。朱塗りの社殿が華やかである。

 

 

 

八代神社のみょうけん祭は、九州三大祭りの一つとされ、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている。八代神社の境内ばかりではなく、市内全域で行われる。

 

御朱印。

 

建武中興十五社の一つ・八代宮を訪れる。

 

(鎮座地)熊本県八代市松江城町

(祭神)懐良親王 良成親王

 

懐良親王は南朝方の征西将軍として活躍した後醍醐天皇の皇子である。

 

旧八代城の中に創建されたお宮である。1880年に建てられたもので、国家神道の神社である。やはり境内は厳めしさがあり、独特の威圧感が漂う。

 

早朝にお参りしたのでまだ朝焼けが残っていた。

 

 

 

八代城址の石垣。ここは石垣だけが残っている。天守閣も櫓も存在しない。

 

 

 

神門を通る。周囲は回廊で囲まれている。

 

 

拝殿。

 

 

御朱印帳を持参していたが、早朝なので、御朱印は無理だと思っていた。直筆で書いて貰えたのは予想外だった。

 

氷川神社のルーツという説もある斐伊神社を訪れる。

 

(鎮座地)島根県雲南市木次町里方

(祭神)素戔嗚尊 稲田姫命

 

斐伊神社の古史伝によれば、「埼玉の氷川神社は孝昭天皇5年に斐伊神社から分祀された」としている。これが斐伊神社が氷川神社のルーツとされる所以である。

 

一方、氷川神社は出雲大社から分祀されたとしている。斐伊神社は地方の小さな神社なので、ここをルーツとするのは格落ちの感は免れない。

 

斐伊神社を訪れたのは旅行会社のツアーに参加したからである。出雲の観光名所ではない神社をめぐるマニアックなツアーだった。

 

 

 

これが社殿である。

 

 

 

 

素戔嗚尊は八岐大蛇を退治して稲田姫命を娶ったが、この伝説が何を意味するかを考えなくてはならない。

 

そもそも八岐大蛇とは何か。通説では、八岐大蛇は暴れ川を象徴していると解釈されている。斐伊川は暴れ川だった。素戔嗚尊はこれを治めた。稲田姫命を娶ったのは、川を治め、稲作を普及させたからと解釈できる。稲田姫という名前はこれに由来する。

 

氷川神社はどうなのか。氷川神社はもともと荒川水系に拡がったとされる。荒川水系の水神である。荒川は名前の通り暴れ川だった。ここで、斐伊川の記憶が再現されたと解釈できる。

 

 

大宮氷川神社とペアになる氷川女体神社を訪れる。ここも武蔵国一之宮である。

 

(鎮座地)埼玉県さいたま市緑区宮本

(祭神)奇稲田姫命

 

氷川神社は見沼に沿って存在する。見沼とはいいながら、広さは諏訪湖と変わらなかった。氷川神社が見沼の北端、氷川女体神社が見沼の南端に位置する。御船祭では氷川女体神社の神輿が船で氷川神社まで運ばれた。

 

見沼は埋め立てられたが、御船祭は磐船祭として継続されている。

 

階段を上がるのだから、高台にあることが分かる。

 

 

 

 

境内は静かである。氷川神社の賑やかさとは異なる。東浦和駅からバスで行く場所にあり、不便である。

 

 

ここも神仏混淆で、持統天皇の世に勅納の大般若経が寄せられ、以後、正月8日に読経したと記されている。

 

氷川神社も神仏混淆には変わりがなかったが、重要な神社なので、仏教的なものは徹底的に破却されてしまった。

 

 

 

 

 

武蔵国一之宮・氷川神社を訪れる。

 

(鎮座地)埼玉県さいたま市大宮区高鼻

(祭神)須佐之男命 稲田姫命 大己貴命

 

鎮座地の高鼻という地名からも分かる通り、この辺りはやや高台になっているが、歩いている分には分からない。平地に見える。かっては見沼を見下ろす場所だった。

 

関東に280社程度ある氷川神社の本宮である。

 

氷川神社は祭神を見ても分かる通り、出雲系統の神社である。氷川神社自身は出雲大社系統と考えているようである。別説もある。

 

参道が長く2キロある。市街地の真ん中にこれだけの参道があるのは貴重である。普通なら一部は再開発されているところだ。

 

 

 

 

 

 

 

楼門の華やかさが目立つ。現在の楼門は比較的新しく1940年、神道が最も隆盛の時代に建造された。

 

 

楼門の華やかさとは対照的に社殿は地味である。楼門は俗と聖を分ける建築物なので、目立つように建てられる。

 

 

 

 

中氷川神社と呼ばれたこともある中山神社を訪れる。御朱印の種類が多いことで有名で、約200種類の御朱印があるという。

 

(鎮座地)埼玉県さいたま市見沼中川

(祭神)大己貴命 須佐之男命 稲田姫命

 

中氷川神社と呼ばれていたのは、武蔵国一之宮の大宮の氷川神社と氷川女體神社の中間にあるからである。

 

中氷川神社のままでよかったと思うが、所沢市に中氷川神社があり、混同されやすいので名称を変えたのではないか。所沢市の中氷川神社は、奥多摩の奥氷川神社と大宮の氷川神社の中間にある。こちらも中氷川神社と呼ぶのにふさわしい。

 

氷川神社、中山神社、氷川女體神社はいずれも見沼を臨む場所に創建された。かって見沼は奥東京湾の入り江に位置する沼でY字型をしており、三沼とも呼ばれた。徳川吉宗の時代に開拓され、田んぼに変わった。

 

 

 

 

 

拝殿にも御朱印の見本が貼ってある。こういうところは他にはないと思う。

 

 

 

境内は御朱印の見本だらけで、多すぎてどれにしようか迷うのではないか。

 

 

 

 

 

御守の種類では日本一という琴崎八幡宮を訪れる。

 

(鎮座地)山口県宇部市上宇部大小路

(祭神)足中津比古命 品田和気命(=応神天皇) 気長足比女命(=神功皇后)

 

琴崎八幡宮の創建にかかわる逸話が面白い。石清水八幡宮の創建に関連する。

 

南都大安寺の僧侶・行教が宇佐八幡宮で参籠し、宇佐八幡の分霊を受け、京都へ戻る途中、海が荒れ、琴崎の地で待機した。これが琴崎八幡宮の創建につながった。859年のことである。(ちなみに石清水八幡宮の創建は翌年の860年である。)

 

宇佐八幡宮の分霊を運んだのは僧侶であった。神職ではない。八幡信仰が神仏混淆であったことが、ここでも証明される。

 

琴崎八幡宮は山口宇部空港から車で15分ほどの場所にある。

 

 

 

 

 

 

ここは、神社よりも御守の方が気になる。「御守の種類 日本一」と書いてある。御守の種類は1000ほどあるという。