和歌山市城下町地名1 畑屋敷雁木丁・袋町 | ユーミーマン奮闘記

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~和歌山営業所の日常~

 

和歌山市は江戸時代は徳川御三家紀州公の城下町で町並みは昭和20年の空襲により失われてしまいましたが、城下町当時の地名がそのまま残っている珍しい地域でもあります。

今回から和歌山市に残る面白い城下町地名をブログで取り上げて

いきたいと思います。

 

1 畑屋敷雁木丁 はたやしきがんぎちょう

   畑屋敷袋町  はたやしきふくろまち

雁木とは桟橋の船着場や土手にある階段で今でも和歌浦の不老橋には雁木が設置されていますが、昔は船から荷下ろしするのに便利な雁木階段が川湊にはありました。上の写真が雁木です。

 

畑屋敷雁木丁は東ブラクリ丁に続く東の通りに交差し、北は城北通旧出水街道。南は大新公園(城北小学校)に接します。

戦国時代は雑賀荘と宮郷の境界にあたり、江戸時代は庶民の町で新町としてにぎわったそうです。

 

この奇妙なギザギザの町割りは昔、北の出水街道から折れ曲がった鍵の手道があり、道の両側には飲食などの店や屋台が並び人の往来が多かった場所で、なぜこのように複雑な道が出来たのかというと、雑賀橋から侵入されると三木町からすぐに城に到達するため、防御の為雑賀橋を渡り切った場所に強い軍事力をもった水野家の屋敷を置き出水街道に通じる畑屋敷雁木丁の道を複雑な鍵の手にして敵の侵入を防いだと想像します。

 

また戦国時代にはこの地は雑賀と宮の境に近く、主要道路の出水街道が戦国時代にはあったとされていますから、雑賀衆が宮郷衆の侵入に備えて作った町割りなのかもしれません。戦前までこのギザギザに沿って家並みが続いていたそうで町割りを目で見ることができましたが、空襲で壊滅した後は目で見ることはできなくなりました。ただ地図上には当時の町名と区画はそのまま残っています。また雁木丁の東に畑屋敷袋町という町があります。この場所も変わっていて町割が袋状になっていたから名付けられたそうです。

 

 

 

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