ユーミーマン奮闘記

~和歌山営業所の日常~


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こんにちわ♪

ユーミーマンです(*^▽^*)

和歌山市 太田 来迎寺 太田城天守跡

 

前回は太田城の規模を説明しましが、

太田城が江戸時代に作られたような一般的なお城ではなく、

町を城壁で囲った少し変わった姿をしていたことについて考えてみたいと思います。

惣光寺由来並太田水責図  (拡大)  惣光寺蔵

 

まずこの絵は江戸時代に惣光寺が檀家の方に太田城の苦難を絵解きで伝えようと絵師に頼んで作らせたものです。

この絵で見る限り平城ながら2層、もしくは3層?の天守を持ち土塀で

囲われ、天守付近には松などの樹木があって外部から見えなくしています。

しかし、この絵の下部に描かれている攻めかかる秀吉軍の船に

比べ城の規模が小さいように感じられます。

 

これは前回紹介した発掘調査で推定した太田城の規模です。

絵と比べ実際の城郭はこのように大きかったことがわかります。

 

 

紀伊国名所図会 仁井田好古

 

この絵は江戸時代に描かれた紀伊国名所図会の太田城です。

絵を見ると江戸時代のお城そのものです。戦国期の太田城は

和歌山城のような形ではなくお寺や館のような建物を中心に町があり、堀と塀で囲まれていたと想像します。

 

この紀伊国名所図会の絵も城が小さく描かれています。

惣光寺の絵も紀伊国名所図会も城攻めを説明するために、わかりやすく描いたのでしょう。実際はこのような姿ではなかったように感じます。

 

これは堺の環濠都市です。外敵の侵入をさえぎるために周囲の堀を

めぐらせています。この町は軍事施設だけの城ではなく商家や寺を含めた町そのものを環濠で囲っています。

太田城もこのような環濠都市のような形をしていたのでしょうか?

 

摂州平野大絵図

これは大阪の平野にある環濠都市です。戦国時代にこのように戦乱から町を守るためにそこに住む人たちで町を城塞化しました。

 

 

これは奈良県大和郡山市稗田環濠集落です。農村ですが、外敵から村を守るために堀をめぐらし町を守りました。

 

太田城も堺や平野のように町に堀をめぐらし鉄砲を打つための土塀を築き、高見やぐらを設け、外敵の侵入を防いだのでしょう。

 

太田城の場所には、もともと古代より太田黒田遺跡があり、その集落は環濠集落でした。その古代の環濠集落が発展し、戦国時代になって城塞化した(北野隆亮 考古学から見た太田城跡)のかもしれません。

 

ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが、この城は一つの市(町)のようだと表現しました。 遺跡発掘調査ではそこから大量の陶器類やお寺の瓦、が出土しています。陶器類を扱う商店のようなものがあったのか?事実はわかりませんが、城の中に市場があり、お寺があり、庶民が生活する場があったということになります。

 

(洛中洛外図屏風 )

これは中世の市場の絵です。太田城の中にもこのような市があったのでしょうか?

 

 

城の中に庶民の生活の場がある。

この城は武家が領土を奪い合うために作られたお城ではなく。

庶民の生活を守るために築かれた城だったように私は想像します。

 

また出土した大量の陶器は何を意味するのでしょうか?

この場所で陶器市があったのか?謎です。

 

その陶器は近畿だけではなく、東海地方や瀬戸内海、果ては

中国大陸の明(みん)のものまで出土しました。(太田黒田遺跡発掘調査) ということは船で海外の国と貿易までしていたということになります。

現在の旧大門川は川とは呼べないぐらい狭くなっていますが当時は

交易品を積んだ船が行き来するほど川幅も水量も豊富だったのでしょう。

上の図は当時の旧大門川をあらわしたものです。鳴神Ⅵ遺跡の調査で旧河道は現在の河道よりももっと広かったことがわかりました。

赤が現在の旧大門川青が戦国時代の河道です。

これなら中型の船なら乗り入れることは可能です。

 

また紀州は海外から鉛を輸入しており、和歌山で出土の鉄砲の玉を分析するとタイのソント鉱山が50パーセントその他の東アジア産

20パーセント、国産30パーセントで海外から7割輸入していたことがわかりました。(太田城水攻めの現在中世終焉秀吉の水攻め・紀州研フィールドミュージアム叢書刊行8年の総括より)


太田城跡から出土した鉄砲の玉と当時輸入されたと思われる鉛のインゴット、太田城の鬼瓦は市役所向の和歌山歴史館で展示していますので興味のある方はぜひ見に行ってください。

和歌山市1番町和歌山歴史館

展示されている太田城跡から出土した鬼瓦

 

宮郷の太田も和歌川のどこかに外洋へ出れるような大きな船を置いて

海外と貿易していたのでしょうか?

持ち帰った貿易品は和歌川の吉田あたりから旧大門川を通れる船に積み替えて運ばれたものだと想像します。

 

宮郷という、今で言えば辺境の小さな田舎町が、一国に匹敵する文化を持ち、海外と貿易する力をもっていたのは驚きです。

 

都に負けるか!という、そこに住む人々の心意気が辺境の片田舎を最先端の地に変えたのでしょうか?。

 

そこに住む私も誇りに思います。

 

 

 

さて来週は、いよいよ秀吉の水攻めの実際について書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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