地下鉄の駅から目的の通りに着き、そらを見上げると、明るい雨が降っていた。
とても寒くなっていて、その銀糸のような雨はちょうど、ほんのひと時、雪になった。ほんの一瞬と言っていい。
美しかった。
魔法のように、そんな一瞬雪となり、またいくらかの雨となった。
昔々、京都の人の話し方は、位取り(くらいどり)だと、日本語の研究者の解説を聞いたことがあった。
私たちは同等かもしれませんが、あなたより下ではありませんよ
という話し方をするという。
私はそれを念頭に話すことはまずない。
セミナー講師も、東京での言動と、地元での手加減は色々あるようだ。
ただ、私は京都風には話さないから。
人を集めて自分のトークでまとめている講師も
毛色の違う学徒がいる時には、お互いにやりにくいのかもしれないね。…
私は人と群れる日本人のようには決してなりたくないが、もっと人の心を以って相手に接しなければ、いくらか不器用さがあるのでしょう。
いえいえかなりあるのでしょう
人と人とは、個人の理解と純心を以って接しなければいけません。つまり人としての心、のこと ……
そうだ!くどいぞ
こればかりは人間力であり、運命であり、タイミングなのね …
その日、自分の体調は無視していたものの、私の存在が 愛と光 に満ちていたとは言えなかった。何故なのだろう。
機嫌を中心に置くわけはないのに、まるで自分が硬まってしまったよう。自分でさえなんだか非常に硬直しているのに、他人に都合(私の考えていることと言いたいこと)がわかるわけない、じゃないか。…
お互いに何かが本当に伝わらなかったなら、それも運命
弁説がすれ違ってもレイナ悪くないもん。
話を短時間で一致させるなんて、ただのファッショだぜ。
さあ、昨日の夜の教訓を得て、早速デパートに入ることに。この通りには大丸も高島屋もあるらしいのだけど。
まだ6時半だったけれど、さっさとリゾットのお店に入りました。
どうしても(心が空虚で)スパークリングワインが必要だったのだが、なぜか一種類しかなかった。それもグラスがボトル二分の一のお値段で。
頼んだのはオッソブッコとサフランのリゾット
寂しくてあおりたい? けどたいして食もすすまず。
オッソブッコ、京都じゃなくてもね、東京でもオッソブッコ(仔牛すね肉の輪切りを骨髄まで食べられるように煮たもの)… ですけれども。
このオッソブッコは、トマト味で煮てあると、もっとサフランリゾットが活きてよかった。
リゾットもお肉も大いにさっぱりして、イタリア的な旨味がない、不思議なお料理でした。
お皿の周りの胡椒が美味しかった。
もしかすると、私がこの時点ですでに味覚がわからなくなっていた可能性も。…
考え事をしながらも、考えること自体が出来ない感じだった。
デパート内のお店はやはり落ち着かない。
違うデパートに入って探したら、中華粥を食べることもできたらしいけど、後から知ってそれがいい、という訳でもない。
私は地下鉄を京都駅で降りて、駅周辺を再度見に行った。
京都タワーとか…
驚いたのはお手洗いを借りに入ったとき。
京都タワーの地下は、大音量がかかっているフードコート?風な、ごく狭いところで混んでお酒を飲んでいて、とにかくこんな盛り場、見たこともない。外人が混ざっているせいだろうか。
京都タワーの地下は日本一の盛り場だ。
……!!
とても驚いた。
感覚過敏のある私でなくとも、あの場所で楽しめる人は多くないと思うけど。
接待でもド派手な日本風を仕度するほうが喜ばれるというけれど、外国目線は、本当に騒々しく賑やかな日本を望んでいるのかなぁ。
地上にでてきて、デモ? じゃなくて被災地支援の呼びかけとか、何人かが意見を見せて訴えていてくれることが、有り難かった。急激にバランスが取れた。
私のアンテナが向いているのは、やっぱりまとも(色々な意味で)な京都だから、さっさとタワーの写真を撮って離れよう。
そこから歩いて私はついに、駅ビル伊勢丹を見つけた。ところがもう閉店時間。
一応、どのように歩くかだけはわかったような。
地下街のように見えるところで、急いでパンを買う。いかにも東京のパン店とは違っている。
それから私はコンビニに寄り、新聞、緑茶のティーバッグ、大事なミネラルウォーター、を買う。
京都の地場のものを、たとえばお菓子をコンビニに置いてくれたら、売れるでしょうねー、すごくね、
地元のスーパーの感じで買えたら最高に便利なのだけど。
さあ今日はがっかりして部屋へ帰り、熱湯が豊かに出ることから、足湯をした。
驚くほど、足先の色は赤く変色した。
両足と、腰に温湿布をしっかり貼った。