おはようございます、リンイリドです。
今日は朝から、感動体験をしました(^^)
「これから始まる、暮らしの中でー誰かがあなたを愛するでしょう。だけど私ほどあなたのことを深く愛した人はいないー」
もう7年前になります、私が横浜の実家から出て就職で家を離れることになった時、カラオケで父が歌ってくれた曲です。
言わずと知れた海援隊(でよかったですよね?)の歌ですが、そのワンフレーズがなんとなく心にフラッシュしたんです。
父は、当時の一般的なサラリーマン?で、夜遅くまで帰ってこず、また亭主関白というのか性格の問題なのか、少なくとも私と父では楽しく会話が弾んだ記憶がほとんどありません。
そんな父だったので、その歌を思い出すと、私をそんなに愛してくれてたの?と疑問に思うのでした(まあ、送別の時はお箱として歌ってたのかもしれません)。
ただ、今思えばそうだったのかもしれないな(愛されてたのかもしれないな)、と思います。
父の幸せの形、愛、それは自民党の言う“強い経済”、ではないですが^_^;、自分の力でお金を稼いできて、それで家族を養うこと、不自由なく暮らさせること、そのような形だったのではないかと思います。
一方の私は、精神的な支えや親密感、話を聞いてほしい、といった心の関係性がない、だから愛されてない、ってずっと怒っていたのですが。
どうも、戦後からしばらく経って国全体が経済力だけが幸せの形だ、になりすぎてしまって、そこに人同士の関係性に本来幸せがあるんだ、という概念が薄れてしまったように思います。
受験、偏差値、いい会社、出世、成果、アウトプット、役職、給料、お金、経済、・・。
なんのための、これらですか?
これらを求めることだけに、幸せがあるんでしょうか?
いや、違う(ひとり反語です(^^))
それを忘れてこれらに走った時、まるで亡者のような現実が待ち受けているのでしょう。