こんにちは、お久しぶりです。
リンイリドです(^^)
何だかタイトルからしてシリアスですが、内容もやっぱりシリアスです(^^)
一ヶ月半前くらいですか、約1年ぶりに最後の親知らずを抜歯したんですね。
横向きになってて、工事みたいな手術でした^_^;
それ自体はまだ良かったんですが、その後ドライソケット(抜いた後の穴を埋める肉が足りずに骨が露出する)にかかって痛みと治るか不安な日々を経て、また昨日その親知らずの横で虫歯になってた歯が痛くて削ったらなかなか痛みが取れなくて、神経まで虫歯がいったらどうなるのか調べたらこれまた結構大変‼︎なことが書かれてたりするんですよ。
痛みとかって、人を弱らせます^_^;
実は1年前の親知らずを抜いた後も喉が痛くなると左耳だけ耳鳴りがするようになって、そして今般喉が弱くなったのかなかなか喉が快調な日がない^_^;
一生治らないのか、と思ったらかなり鬱でした。
人ってショックがあると否定とか、怒りとか、絶望とか、寛容(でしたっけ)、受け入れとか段階を経て通常に戻っていくと聞きますが、1年前の左の親知らず後の後遺症的なものをしょうがないかと思って右を抜いたらまた痛み・後遺症不安です^_^;
痛みの方が精神にくるような気がしますし、完治するかわからないという不安はかなり辛い。
そんな中で、痛みや不安がすごく酷いときこんな身体の状態で一生すごしたくないし早く死が訪れないかな、と思うことがたまにあるんです。
たとえ愛する家族がいて、育てていきたい未来があっても、状態が酷いと確かにそんな思いがよぎる時があります。だからって行動はしないですが、もっともっと症状がひどかったらそれは神のみぞ知る、でしょう。だから、ちょっと脇道にずれますが、もし自分の周りに自死した人がいたとしても、それは決して周りの人のせいではないでしょうし、愛する気持ちはあったのだと思います、ただ本人にしかわからない辛さがあっただけで。
ところで、本論に戻りますが、なんでこの世界にはこんな苦しみ、生老病死があるんでしょう。痛い、苦しい、死に対する不安なんて欲しくないですよね。
でもそれは実際程度の差はあれ現実に存在して、人の自由さに影響を与えます。
だから、その存在は認めざるをえなくて、そう思ったとき、ああ、そうか、人は苦しみで出来てたこともできなくなるかもしれないし、死は必ず訪れる、だから一生懸命生きようと思うし、一瞬一瞬に強く存在して生きようと思うんだ、そう思えるようになるために病や苦しみ、そして死はあるんだ。
2,500年前にお釈迦様が悟った話がふと心をよぎりました。たくさんの飢えて苦しみ死んでいく人々を周りにみて、なんで人生に苦しみや死があるんだと考え苦行や、何日もの絶食にトライしてでも死や苦しみのある人生の意味はわからなくて。そして絶食を止め久方ぶりに食事をしたとき、その食べ物の舌や体に染み渡る感覚はすごかった。生きるとはこういうことか。生き生きとこの世界を感じること。いまここにいること。
意味のないものはこの世に存在しないとすれば、苦があるから生が輝く。死があるから生が輝く。そんなことを思ったら不老不死はたとえ医療が進歩しても到達しない、あるいは人は選択しないのではないか。
そんなことが頭によぎった午後でした。