「華麗なるデビューとアジア市場開拓期」
MC:チーム名には満足でしたか?
ユノ:最初聞いた時はちょっと、、、。イスンマン先生が外国でいろんな話を聞いて来たみたいなんですが。元々僕たちのチーム名は「東方不敗」でした。最初聞いたときは驚きました。それだけではなくて「五臓六腑」、「伝説を食べて生きる鯨」、「SM5」、「ドリームチーム」などの候補がありました。
02:10
MC:ついにシングルアルバム「Hug」で正式デビューするわけですが、デビューしてすぐにスターダムに上り、ファンクラブの会員数は80万人。ファンの人達の関心がありがたいけれど、正直怖いなと感じたことはありますか?
チャンミン:以前の話ですが、いたずら電話が多いので電話番号を変えたらその5分後に「あ!番号変わったんですね?」というメッセージが来たり。
MC:どうやって分かったんでしょうか?
ユノ:僕たちにもそれはミステリーでした。僕の場合もそういうことがあってその後また番号を変えました。すると「番号頻繁に変えるの良くないですよ。」というメッセージが来るんです。
MC:お。。。
ユノ:夜中の5時とか6時頃、寝てる時に「ヨボセヨ~」と電話に出ると、「ア~!!」って声がしたり、次の日また電話がかかって来て、きっと同じ人なんでしょうね、「ヨボセヨ~」と言うと、「ウェ~」って言って来るんです。笑
チャンミン:僕が番号を変えたらすぐに分かるってことは僕の個人情報が流出していて、それを探し出してるってことは違法ですよね。
ユノ:僕の場合こういうことがありました。宿舎の中にある物、パンツとか普通にあるじゃないですか、そういう物を撮った写真が僕の携帯に送られてきたことがありました。僕の知らないうちに部屋の中に入ったんです。
MC:怖い!
チャンミン:中に入って写真を撮ったってことは住居侵入じゃないですか。それも違法ですよね。
03:50
MC:2006年「ソウル歌謡大賞」大賞受賞、「ゴールデンディスク」大賞、「SBS歌謡大賞」大賞、グランドスラムを達成して韓国で最高の位置に立った時、日本へ進出するわけです。
チャンミン:2006年はたくさんの賞をもらって、11月12月は年末なので授賞式が多いシーズンじゃないですか。それなので前日は賞をもらって「ありがとうございました~」って泣いていたのに、次の日にはほとんどの人が僕たちのことを知らない日本へ行き、たとえば東京にあるコンピューターショップの中の階段で行ったり来たりしている人に対して歌を歌ったこともあります。広報のために。
MC:韓国では最高のスターで日本へ行ったらどん底からの始まり。つまり2重生活をしていたんですね。
ユノ:はい。もう一度一から出直したんです。
チャンミン:日本で一番最初に出たテレビ番組が夜中の3時か4時の深夜番組だったんですが、正直夜中の3時4時に誰がテレビを見ますか?笑 それでも誰でもいいから少しでも見てくれる人がいればという気持ちで、そういう番組でもひとつひとつやっていったのです。
05:10
MC:それではいつごろから日本で東方神起への反応がでてきましたか?
ユノ:「パープルライン」でオリコンチャート1位になったんです。
MC:日本でアジアグループ男性歌手として週間チャート1位になったのは東方神起が初だったというのは
事実ですか?
ユノ:事実です。
MC:オリコン1位後、日本の所属事務所からの待遇がかわりましたか?
チャンミン:すごく変わりました。
ユノ:例えば、僕たちの泊まっていた宿所が変わりました。ホテルの部屋が最初は一人か二人寝られるくらいの小さい部屋だったのが、少しづつ少しづつ大きくなって今は各自スイートルームが使えるくらいまでになりました。
05:59
MC:日本ではコンサートをする場所に順序があると聞きましたが。まずアリーナツアー?
ユノ:いいえ。段階があるんですが、まず最初ライブハウス、次がホールツアー、その次が武道館、そしてドーム。ドームは5万人。武道館からが日本のアーティストが憧れる場所です。
チャンミン:とても嬉しかったのが、外国人アーティストの僕らが、日本のアーティストが立ちたいと憧れる武道館を僕ら5人でいっぱいにしたということです。
MC:武道館の観客数は?
ユノチャンミン:1万から1万2千人。
MC:東京ドームはどうでしたか?5万人くらいとなると雰囲気はどんな感じでしょうか?
ユノ:東京ドームは元々野球場なんですが、そこに観客が全部入ってジャンプし始めると揺れるんです。5万人が同時にジャンプすると本当に揺れるんです。
MC:いや、人がジャンプするからってドームがどうやって揺れるんですか?
ユノ:それだけたくさんの数の観客を収容できるんです。本当に揺れるんです。これは実際にそこに立ってみないと感じることのできない感覚です。
MC:韓国語の歌も一緒に歌ったりするんですか?
ユノ:不思議なのはつたない韓国語で「韓国語でも歌ってください」と言ってくるファンの方もいます。韓国の文化がこれくらい知られてきているんだなという自負心。自分たちは国家代表だという風に考えています。
チャンミン:とても幸せで誇らしかったです。
2009年韓国グループ史上初、日本東京ドーム単独コンサート開催!スーパースターだったが、また新人として挑戦した日本の舞台。3年間の努力の末、日本でも頂上への道を登りつめた。
しかし一番苦しい試練はそのときやって来た。
07:43
MC:2009年7月31日、メンバー3人が事務所を相手に専属契約効力停止仮処分訴訟を起こします。この番組にとってもこの部分はとてもセンシティブな部分です。MCとして私は中立の立場です。ユノ氏チャンミン氏の立場ではどのような心境でしたか?
ユノ:その当時は、、、衝撃でした。会社を相手に訴訟を起こした時は僕たちも知らなかったんです。だから何も知らない状態でそれを聞いた時はちょっと、、、残念な気持ちでした。
MC:どうしてこういうことが起こるんでしょうか?ユノ氏の個人的な考えを聞きたいです。
ユノ:僕たちは若い歳で突然急激にうまくいったので、そして日本でも良い成果をあげただけに、その雰囲気にのまれながら、こういう皆さんがご存知の状況にまでなったようで、僕の立場としてはとても心苦しいです。僕の考えですが、告訴という極端な状況まで行ってしまったということが、正直同じメンバーとして残念な気持ちです。
MC:その出来事を経験して一番大変だったことは何ですか?
ユノ:誤解された方たちがいて、、自分を「裏切り者」だというファンの方たちもいました。それはいくらでも耐えることができます。でも一番愛して、尊敬する僕の両親や家族にまで影響がおよぼされるのが。。
チャンミン:記事とかに何か書かれることよりも、自分の両親を悪く言ったりする場合があったり、父が教師なのでまだ状況が良く分からない幼い子供たちが何か間違ったことを父に言わないか、もしそういうことがあった場合父が受ける傷だとか、、全く関係のない妹たちが周りの友達などから心を傷つけられるのではないか。。。
3人が最初に訴訟を起こしたときユノとチャンミンは何も知らなかったというのは驚きました。何かしら事務所を出る出ないで5人で話合った末の訴訟だと私は思っていたんですが、完全に3人の一方的な行動だったんですね。ユノのお父様が確認書で「あっけなくやられた息子」と書かれていたのを思い出しました。バッシングがあった時、二人はやはり自分のことより家族に及ぶ影響を心配していたんですね。。辛かったでしょう。。
日本での宿舎の話ですが、5人だった時、日本でも韓国でも5人で住んでいて相部屋だとよくテレビで言ってましたが、私は韓国でも日本でもこんなに人気があるのに5人で一緒に住んでいて相部屋ってちょっと可愛そうだなと思っていたんです。事務所の方、もう少し良い待遇してあげてよと。
でも今は日本に来たらユノとチャンミンひとりづつスイートルームに泊まってるみたいなので、良かったです。考えてみれば当たり前の待遇ですよね。日本でCD売り上げ2位のアーティストですから
