1週間後には新たな身分を得ている。未練はない。

「仕事を辞めたい」という気持ちはクラシック音楽における主題のように繰り返し心の中で鳴り響いていて、思い返すと転職熱は過去4度に渡って大きく盛り上がった。

(1) 20代後半
控えめに言ってパワハラ傾向の上司の元で、嫌になった。当時は気弱だったので毎日憂うつ。年度のスタートを切ってGWを待たずに転職に舵を切り、公務・民間問わず幅広く就活に勤しんだ。国家一種(現 総合職)に最終合格したのもこの年だったはず。民間も1つ2つ第二新卒的な内定を取れた。

第一志望先の官庁訪問で、内々定ほぼ確定ラインと言われる3クール目まで行けたから、安心していた。「例年なら内々定出すんだけど、今年は政権が国家公務員の採用を大幅減にしてるから」ということで、3クール目到達で限界に達していた僕はそこで選考から漏れた。年下とはいえ、あと東大院卒とか旧帝・東工・早慶みたいな連中しかいなかった。彼らも普通に切られていた。僕のようなインチキお笑い地方公務員が通せるわけない。当時の政権与党(及びその後継政党)を生涯の敵として生きることを神に誓った。逆恨みという自覚はむろんある。

全てを諦めて、絶望的な気持ちで現職続投を消極的に選択したところ、翌年度は菩薩のような上司に仕えることができ、心理的安全性の高まりとともに転職熱が鎮静化。

(2) 30代前半
入庁5年目で係長試験に合格し、国の地方支分部局への出向の打診を蹴って(余談ながら一悶着あった)掴んだ係長初任ポストだったが、やはり上司がパワハラだった。完全に嫌になる。

「お前みたいな新人係長が配属されること自体、うちの課が舐められてるってことなんだぞ!」配属4日目の課の歓迎会のセリフがこれ。

当然録音してある。10年前でもパワハラ概念はあったが法令上の定義はなかったから惜しかった。今なら証拠とともに人事に垂れ込めば100%処分に至っただろう。結構強く複数回殴られたし。パワハラとかそういうレベルじゃなく、侮辱罪、暴行罪、器物損壊罪に当たる。牛革のカバンに日本酒こぼしてくれたからな(皮革なのでアルコールは跡が残る)。これでも法律家志望の端くれのつもりなので、パワハラや職場トラブル関連の専門書や判例は民事・刑事ともに相当読み込んでいる。

(1)のかつての上司が同僚だったのもこの時期で、元部下なのをいいことにまあ仕事を押し付けるわ、うちの係員は奪い取るわでやりたい放題だった。植民地支配ってこんな感じなんだろうな。

いくつか転職活動したけど、公務・民間ともにこの時はかすりもしなかった。余裕をなくしてた時期で、書類選考は通っても面接で面白いくらい簡単に落とされた。表情が固くて暗かったんだろうな。係長1ポスト目の最初の2年間は本当に辛い思い出しかない。あの精神状態で、伊藤塾に通って行政書士試験に一発合格したんだけど、法律の勉強に打ち込むことで現実逃避していた感がある。その後司法書士試験と司法試験予備試験界隈をウロウロする亡者の一人に成り果てる。

その後(1)(2)の元上司たちとは、それなりに良好な関係を装っているけど、過去の仕打ちを忘れたわけでは全くない。両者から学んだことは、サイコパスには決して弱みを見せてはいけないということ。この時期の前後で、複数の友人から「性格変わったね」と言われた。良い意味ではないだろう。

(3) 30代後半
係長8年目前後、どこで間違えたか最初からそんなもんだったか、ソルジャー脳筋枠として定年まで同じような職場をぐるぐる回されるだけだなと気づく。国家公務員の係長級試験を受けて最終合格したのがこの年。法律系(リーガルテック)のスタートアップで面白そうなことやってるとこを調べたり。最後まで悩んだけど、パワハラはないこと、子どもが小さかったことで転職を見送る。そのまま三十代に終わりを告げ、年齢を考慮すると、もはや定年まで地方公務員を続けるしかないものと思っていた。結論から言うと、この時に官庁訪問した際にある官庁の採用担当者からいただいた助言が、今回の転職の布石になる。

(4) ちょっと前
部下を無意識に潰す確かな実績でパワハラ界の第一人者的存在。僕も四十路なので表面上は取り繕っていたが嫌になる。それが全てじゃないけど色々と積み重なってスッパリ辞めようと思った。決意が遅くて当該年度には間に合わなかったけれど、転職活動を再開して、最終的にそのうちの一つ(某本省技官)を次の仕事と定めて転職を敢行した。彼らにも言い分はあろうと思うけれど、残念ながらもう今生で相まみえることもなかろう。