京郷新聞] 2017-09-08
山口で巡礼団を歓迎する住民たちと共に。(宇部)
‘ローマまで歩いて行くって? いったいどんな人がそのような考えを…’と去る6月に気がかりだったある日本人がこの8月、生命・脱核シルクロード(以下生命ロード)途上のラオスに来て一緒に歩いている。 地球村の安全を試みようという根本意義が分かってから、自分のことをしばらくたたんでローマまで(筆者を)助けながら2年間巡礼するという決断を下したのだ。
彼の出身地は山口だ。 この地名は私たちにもなじむ。 明治維新の本場でもあり安倍晋三総理の故郷でもある。 だが、今回の生命ロードで知るようになった事実がより一層印象深い。
断然第1番には長生炭鉱事故だ。 最近上映された映画<軍艦島>より‘採掘現場’らしい事故があった所だ。 1942年2月山口県、宇部市のすぐそばの海底炭鉱で朝鮮人136人、日本人47人が一度に水没した悲劇が広がった。 <朝鮮人強制連行調査記録>(朝鮮人強制連行調査の記録)を引用した文(朴仁植)には“長生炭鉱は海底炭層が沖に向かうにつれ浅くなる地層で採掘をするほかなかったが、坑道に降りて進めば、すぐに頭の上が海であるから労働者は崩れるかと思い恐れにおののいたし、作業を止めて弁当を食べていれば、頭の上で漁船の過ぎ行く発動機音がして、スクリューが水を分ける声がはっきり聞こえ、いつ天井が崩れるのかといつも恐怖に震えた”という証言もあった。
深刻な問題はこのような海底炭鉱での採炭で既に1911年、1915年、1921年三回にわたり数十人を水没させる事故を起こしていたにもかかわらずまた再び石炭を掘るようにしたということだ。 悲嘆にくれる。 これは分かっていて殺したのだ。 当時の日本政府の罪質はあまりにも悪い。 責任を誰が負わなければならないのか? これに対する反省と責任を問わなければこうしたことがまた再び繰り返されるだろう。
まさにこれが大きい課題として関わる。 福島核事故を体験してもアベ政権が原子力発電所を再び推進していること。 そしてスリーマイル、チェルノブイリ、福島まで体験しても人類がまた再び原子力発電所を推進すること。 山口と地球村は重い宿題をかかえている。
二番目の話は山口県上関町に原子力発電所が推進されているということだ。 この計画は中国電力㈱と日本政府によってかなり以前に立てられたが住民たちのたゆまない抵抗のために福島核事故以後中断された所だ。 そこが最近再びうごめいている。 原子力発電所建設のための関連工事が再開されているということだ。 利潤を追求する原電事業者側は相変らず推進する兆しを見せている。
だが、住民たちは‘海女闘争’と同じ方式を動員して何と30年が超えて闘っている。 想像以上の期間だ。 この闘争の推移と結末が日本の脱原発を計るリトマスだ。
三番目は住民の情熱に関する話だ。 山口は韓半島で原子力発電所事故が起きれば直ちに被害をこうむる地域だ。 そして今回の生命ロードの途上で生命尊厳と脱原発の意に最も熱く呼応した地域でもある。 山口県を歩いていく一週間一日20km巡礼を終えてから夕方になれば集まる人々は既存の平和運動の限界を克服することと生命尊厳を重視することへの関心が大きかった。
アベ政権に反対する代表的知識人として長生炭鉱を案内してくれた某教授を筆頭に、神父と僧侶と住民たちが自発的に筆者の助けになった。 特に韓半島と密接な関連のある下関で‘日本とコリアを結ぶ会’のリーダーのある住民は生命ロードを広く知らしめて助ける決定的な役割をしてきている。 今ともに歩いている人の参加も住民の情熱が産んだ作品であろう。
山口は国民国家を越えた地球村の一部だ。 その事情は生命ロード上、縦糸で編まれて新しいエネルギーに集まるだろう。 彼らを応援して励ましたい。 山口で勝てば地球村も変えられると。
<イ・ウォンヨン水原(スウォン)大教授・国土未来研究所長>